2025.05.25
「生と死を問うダンサー」
公演後、私が佐東利穂子について考えたことを記す。
この作品に現れた佐東利穂子は、成長した姿と技量によって、
いわゆるダンサーを超えた次元の表現者になっているのを私は見た。
柔軟に解体された身体の内側には、半透明の純粋の水液が流動しているようだった。
激しい悲劇的うごめきは、微細の振動から発していて、それが生命を維持している。
作品のあらゆる場面で、佐東利穂子は生と死に対して、崇高な問いかけをやめなかった。
それはどんな詩人にも書けない身体の詩篇であった。
美しいダンスとしか言いようがない。
彼女は全てを見て聴いていて、何も見えず聴こえない。
全てが佐東利穂子であり、佐東利穂子ではない。
それが、佐東利穂子のダンスである。
勅使川原三郎

2025.05.24
「悲しみのハリー」改作ノート
「ソラリス」からの影響と別れ
原作のレムの小説、タルコフスキー監督の映画から離れて創作した、ソロダンス。
ダンスが生まれる空間を作り、文学や映像とは異なる方法によって、「ハリー」を出現させる。
佐東利穂子の特別な身体感覚が、愛と命を燃焼させるダンス。
この改作公演は、佐東利穂子と便川原三郎の新たな次元のダンス創作に重要な出発である。
内面の深みを極限までダンス的に追求する。
そしてここから新たな何かが生み出されるダンス、いや不可能な感覚表現に向かう
勅使川原三郎