私は昨日ヨーロッパから帰国しました。
渡欧中の雨っぽい天候から一転、快晴の日本晴れが新鮮。
「雲のなごり」からアパラタスの「沈黙の木霊」公演後、私と佐東利穂子はフランスとイタリアで「トリスタンとイゾルデ」公演を行いました。各地での素晴らしい公演を終えて、最終公演地サンクトぺテルスブルグ(ロシア)に移動しました。到着した夜の気温はマイナス7度で、当地の人はまだ秋で冬はこれからですよっと涼しい顔、寒がる私が見たのはすでに凍って動きを止めている川で、歩道も氷のように凍っていました。
今回、私が最も興味深く楽しみにしていたのは、この街で生まれたと言えるドストエフスキーの小説「白痴」をもとに創作したダンス作品「白痴」の上演です。開演直前の幕の裏で、私と共演の佐東利穂子はわくわくしながら冷えないように身体を軽く動かす、幕の向こう側には観客のざわつきがどんどん増えつづける、どんな観客だろう、難しい人々か、、ロシア人の登場人物の小説を日本人たちが踊る。期待と疑問が私の中にはあった。
開演、ショスタコーヴィッチの音楽や激しいノイズ、ロック、、奇妙でエレガントなダンスや細かい身体の動きの表現が展開する、壮大なワルツから悪夢的場面を変えて我々は激しく生き生きと踊り、、静かなナスターシャの死、そして孤独なムイシュキンの佇み、暗転。暗闇の向こうからさざ波のように拍手が押し寄せる。静かに始まり徐々に大きく、そして劇場全体が熱狂的な拍手と歓声で溢れる。何回も呼び出されてお辞儀をする二人に暖かい、いや熱い反応が直接ぶつけられるように投げかけられる。と、間があってドーン!
えっ、何?無数のカーネーションが舞台の隅から隅まで天井から振り落とされたのだ。一瞬何が起こったかわからなかった。美しく愛らしい赤いカーネーションで溢れる舞台、花を踏まないように舞台前に呼び出されてまた何度もアプローズ。主催者側からの我々への空からびっくり素敵な贈り物、終演。
公演後には何人もの観客から感激して涙が出ましたと声をかけられ、他にも多くの観客が涙を流していたそうです。荻窪のアパラタスで生まれた「白痴」は、ロシアで、小説の地元の方々に確かに受け入れられたのだと感じました。
普段はサンクトぺテルスブルグの観客は冷やからしいのですが、この公演は違って、皆さんは深く作品内容に感激しているのですと芸術監督が語っていました。私たちはとても充実した、そして幸せな気持ちになりました。仕事は丁寧にしなくてはいけない。良い準備があって初めて良い結果を出すことができる。気を抜かずに正々堂々と目的に立ち向かう。これら常に心がけようと努めていることが実践できたのだと私たちは実感しました。それがこれからもあるべき仕事への私たちの身体の内と外にある平常心なのです。丁寧に大切に、そしていさぎよく。上に書いたことは、実はフランスやイタリアで公演した「トリスタンとイゾルデ」の公演にもあったことなのです。本当に多くの観客の方々に盛大に受け入れられ深く感じていただきました。終演後のブラボーなどのかけ声とともにありがとうという声を聞いたときは、こちらもありがとうという気持ちになりました。劇場に起こる尊敬と感謝、素敵な関係でした。
勅使川原三郎
[メールマガジンNo.1494より]
常に新たな生命装置
カラス アパラタス
2013年7月に東京 荻窪にオープンしたアパラタスは丸6年を
過ぎ7年目に入りました。その間、アップデートダンスシリーズ
では65作品を発表公演し、8つの再演作品を除くと57の新作
を創りました。これは6年間の創作としては他にはない作業だと
思います。また勅使川原三郎を中心に始まったKARASは、19
85年にグループ結成以来34年が過ぎましたが、その規模に
しては広範囲にわたる創作活動をしてまいりました。
アパラタス開場以来、日本での活動をより活発に充実させること
が可能になりました。創作基盤として画期的変化であり、また
心身及び技術を鍛える場として力になっています。
加えまして、これはとても大切なことなのですが、来場なされた
観客の皆様と直接顔を見合わせて交流できる楽しみがあります。
公演直後の出会いや会話から新たな発見と別な出会いもあり、
なんとありがたくうれしいことでしょう。
これからもよろしくお願いします。
勅使川原三郎
佐東利穂子
KARAS一同
2019年8月吉日
2013年7月にオープンしたアパラタスは丸6年を過ぎ7年目に
入りました。また勅使川原三郎を中心に始まったKARASは、
1985年に正式な活動を始めてから38年が過ぎました。
グループ結成以来、その規模にしては類まれな広範囲にわたる創作
活動をしてまいりましたが、アパラタス会場以来、日本での
活動をより活発に充実させることが可能になりました。創作基盤
として画期的変化であり、また鍛える場として力になっています。
加えまして、これはとても大切なことなのですが、来場なされた
観客のみなさんと直接顔を見合わせて交流できる楽しみがあります。
公演直後の出会いと話し合いから様々な発見と新たな出会いもある
のです。なんとありがたくうれしいことでしょう。
これからもよろしくお願いします。
勅使川原三郎
佐東利穂子
KARAS一同
2019年8月吉日
昨日は、「幻想交響曲」の初演初日でした。
雨にもかかわらず大勢の方にきていただきました。ありがとうございました。
この曲は、私が若い頃から長年聴きつづけてきた音楽です。一般に標題音楽と呼ばれる一楽章ごとにタイトルがついている、ストーリーではないのですが、楽章ごとに意味がある曲です。創作や恋に悩む若い芸術家の揺れ動く内面を主題にしたもので、それ自体が作曲家ベルリオーズ自身を描写しているとも言われています。
私はこの曲を10代の頃から聴き、その数年後にはテレビでタイトルは忘れてしまったのですが(多分同名の)映画を見たことがあります。古いフランス映画で主役の作曲家を若きジャン ルイ バローが演じていました。
その後もこの有名な曲をことあるごとに稽古場でかけては一人で踊っていましたが、長年の思いが叶い、去年リヨンのオーケストラ演奏で踊ることができました。もちろん佐東利穂子とのデュエットです。来たる秋にはパリのフィルハーモニーでも踊ります。その前にアパラタスで上演できることはとても嬉しいことです。
公演後の実感を書きます。この曲の起伏の激しい豊かな情感表現と異常な世界観が強烈に身体に衝突し我々踊る身にとっては引き下がれません。格闘し融和し、妥協無しの音調は終わりのない日々の延長のような道のりを用意された我々が向かうのは試練か稀有な陶酔か、音楽と心中するようでもあります。毒に犯されながら生きつづける人間の矛盾に火を放った後、不死に向かう命を得るために絶望の際を全速力で走り、足を踏み外して真っ逆さまに飛翔する。
本日の2日目の「幻想交響曲」にどうぞご来場ください。
勅使川原三郎
[メールマガジンNo.1410より]
一週間前に佐東利穂子が長いヨーロッパ滞在から帰国しました。
来たる秋イタリアで初演される新作のリハーサル、パリでの
ワークショップを一週間、つづいて4月にアパラタスで創作
初演した「泉 IZUMI」のヨーロッパ初演と大忙しのぎっしり
詰まった日程を完結してきました。「泉 I ZUM I」は初演時
から成長して大好評であったようで、観衆のパリ市民は言うに
及ばず劇場専門家からダンス批評家まで幅広い称賛を得たという
声は周囲の方々から聞こえてきました。
彼女がきちんと持っているダンス技術の確かさや強度を超えた、
純粋な者だけが有する彼女独特の美に直接触れたように感受
されたのだと私は確信します。言い過ぎと思わないでいただき
たいのですが、人々はある種の聖なるものと一体となる時を
実感したのだと思います。私はここで褒め称えるつもりで
書いていませんが、彼女の中の深いところに潜んでいるものを
汲み上げた作品なのだと言いたいのです。
それはまさに「泉 IZUMI」なのです。
さあ、ところで次は「幻想交響曲」です。
佐東利穂子と勅使川原三郎の久しぶりのデュエット!
乞うご期待!
勅使川原三郎
________________________________
「幻想交響曲」
ベルリオーズ
若者の情熱と絶望と陶酔、繰り返される激しいリズムや
強烈な起伏が終焉に向かう。バーンシュタインが
「史上初のサイケデリックな交響曲」と言った、早逝した
天才ジミ ヘンドリクスの音楽を思う。
若さが発する毒こそ「生」に「次」を与える。
勅使川原三郎
[メールマガジンNo.1405より]
本日はアップデートダンスno.62「青い記録」の2日目です。
昨日の初日の舞台で私が感じたことを書きます。
以前から公演を実際に行うことにより、作品がどういうものであったのかが初めてわかることがあります。公演から学ぶ。適切な準備をしていても作品自体がまだ生まれていない時点で、私が求めることを全て自覚しているわけではありません。予感していることはまだ明らかになっていない何かで、自覚と無意識の微かな領域(稲垣足穂でいうなら「薄板界」)で希求する内側に潜む何か、「ある核心」。私は観客の皆さんと同時に公演でそれを実感しました。
記録ということから私はあることを常々重要にしていたのだということに気がついたのです。恒例の公演直後のトークの時に期せずして自分の口から出た言葉に気づかされました。言おうと思っていなかった言葉、それは隙間、あるいは間合いともいえること。記憶ではなく記録ということにこだわった理由がそこにあった。記憶をあやふやなものといい、随時実録されつづける身体的記録には、それを的確な流れにする為の「隙間」が機能していたことを実感した。今ここで言葉で描写したことが実際に舞台で意識と自動性を活用して身体が構成していた。その働きによって様々な新たな出会いを身体内で起こしているということが分かったのです。
身体の動きの連鎖に「抽象的」と名付けることがあります。しかしそれは抽象ではなく連続によって生み出される具体的な質感の流れと言えます。日常に使われない時間感覚、つまり無時間的質感が連鎖して生み出す流れと展開です。(この辺でベルクソンを持ち出す物知りがおられるかもしれませんが、違うと思います)
これら私の思考が発する言葉は複雑で面倒に響きますが、実際は感覚して生み出している動きの連鎖の記録なのです。
もしまとめるなら、我々の動きは記録されることによって作られる動きのオーバーラップ、連鎖の展開なのです。それは感情とともに表されることもありますし、日常的な嘘ではない別の作りごとと混ざり合って混濁し濾過されながら生きている生命体の動きなのです。まるで水中に生息するクラゲやプランクトンや藻のように水と一体となって時間の尺度のない生を生きていると言えるでしょう。私や佐東利穂子の表現はそのような身体性とともに有ると実感しています。
長くなりましたが、時々はこのような創作の裏側を表に出すこともよいかと考えて書きました。
読んでくださりどうもありがとうございました。
2日目以降も大切なものを継続しながら日々アップデートしていきたいと思います。
どうぞご来場くださいますようお願いします。
勅使川原三郎
[メールマガジンNo.1359より]
本日は「シナモン」の4回目の公演です。
初日から再演という繰り返しではない公演を目指しています。
私は小説からダンスを作る経験を長く積んできましたが、なぜ言葉
とダンスの関係に興味があるのかというと物語としての言葉のみな
らず自分の側にある言語感覚をダンス創作に冒険させ、その先にあ
るであろう言語を超えた感覚世界が表れてくる、そこに向かいたい
のです。
原作の抜粋の朗読を用いる方法も独自のやり方で編み出しましたが
、身体自体が鍛えられた的確な力を持っていなければ不可能です。
概念や理解という範疇からはみ出してしまう不確実な運動性を解き
放ちたく、舞台、公演日時などの限定条件内でこそできうる冒険が
作品になると考えます。言葉と身体存在そして動き、言葉と音楽、
言葉と照明の関係が複雑に繊細に大胆に絡むことによって表出され
た内容こそが作品だと考えます。でも誰が正しいと判断するのでし
ょう。
そこには何の保証もないが目を見開くことが必要なのです。原作へ
の強い共感が元素ですが、それを私は作品を作ることによってしか
知り得ません。原作者シュルツとの出会いは未知への共感です。
非現実的だが具体的感情を呼び覚まし、具体性の中に神秘を感じる
注意深さへの親密感。そこに手がとどかない深い影に向かう時、緊
張や恐れは私の体内で美に変容し予期せぬ喜びにまで高まります。
「シナモン」をご覧になる方が、各人の内側に湧き上がる独自の感
情的冒険をして、そこに何かしらの開かれる世界があればと思いま
す。
両国のシアターX(カイ)にご来場ください。
勅使川原三郎
[メールマガジンNo.1340より]
昨日は「シナモン」の5回公演の初日でした。
3年ぶりの再演、シアターXには大勢の観客の方々が来場してく
ださいました。
私は小説からダンスを作る経験を長く積んできましたが、言葉の
世界から原作の抜粋の朗読を用いる方法も独自のやり方で編み出
しました。
言葉と身体存在そして動き、言葉と音楽、言葉と照明の関係が複
雑に正しく絡むことによって表出された内容こそが作品だと考え
ます。
ダンス作家の私の精神と原作者であるシュルツの精神が正しく出
会っていないなら「創作」とは言えないでしょう。
もし創作の喜びを語るとすれば、出演者の身体存在が明解で、動
きを生み出させるのは言葉と正しく向き合う時にしかありえない
ことを知る喜びであると言えます。「シナモン」には様々な喜び
が散りばめられていますが、ご覧になる方のそれぞれの内側に湧
き上がる独自の感情的冒険をしてそこに何かしらの開かれる世界
があればと思います。
公演は劇場にいた全ての方々の結晶、喜びの表情があふれていま
した。
今日は「シナモン」公演の2日目です。
ぜひ両国のシアターX(カイ)にご来場ください。
勅使川原三郎
[メールマガジンNo.1337より]
「シナモン」
ブルーノ シュルツ原作によるダンス作品の2016年以来の再演。
シュルツ独特の世界観が開いた本のページの隙間や紙の表面から吹いてくる。
漂う湿気、あらゆるところから発せられる匂いや香り、生き物の微熱、生命
もつ物質、置き去りにされた過去がさまよい今に紛れこむ言葉、身体となり
作品の素になる。蒸発した形が影に溶けている。影になった形が動きだす。
言葉に影あり、影に言葉あり。影に溶けた明るさ。別名、光。命ある思い、
別名、天使。シュルツの世界観に私が見るものは揺れる影と去りかけた天使、
それらの密会。
短編「肉桂色の店」、不確かな筋立ての不整脈、私たちはその脈拍をもう一度
測る。
2019年春 勅使川原三郎
[メールマガジンNo.1332より]
昨日、佐東利穂子の新作「泉」が初日を迎えました。
彼女の初めての創作は、数多くの作品を踊ってきた現在最高のダンサー
の新たな航海の始まりです。ダンサーとして稀有な才能を発揮しつづけ
てきた長年の経験があるからこそ成し得た新鮮なダンスがありました。
この作品によって終わりのない旅へ出た彼女は、広がる将来の展望を恐
ろしいほどだと公演後、言葉にしていましたが、それが佐東利穂子とい
う澄んだ心をもって生きている人間の正直な気持ちだと思います。
観客の皆様とともに経験し感じることができた喜び、昨夜、皆様からい
ただきました祝いのお言葉の数々を私は忘れることはありません。
感謝いたします。
本日の2日目、その後に公演はつづきますが、
佐東利穂子の旅はまだまだ始まったばかりです。
勅使川原三郎
[メールマガジンNo.1316より]
佐東利穂子の初の創作「泉」の開演がせまってきました。これが初
作品というのが意外と思われる方がいるかもしれません。ダンサー
としての彼女をいまさら説明する必要がないほど素晴らしい経歴を
もっているのですが、「泉」によってダンスの作家としての佐東利
穂子を初めて見ることになります。
異常な強度を有するダンサー、身体と頭脳、精神と意思とを基盤に
した創作は作品を作ることで完結するものではありません。いつま
でも連なりうる生命の流れのように佐東利穂子の思想は、身体化し
空間化するでしょう。
彼女のダンスへの熱意は比較する対象者はいません。いやそれ以上
に身体の深部に確立した謙虚なる探究心、そして神秘の領域まで拡
がる身体想像力、それらが今新たに結集して、かつてない結晶が密
やかに、まさに彼女らしく、湧き上がるでしょう。
その日は明後日、そしてその後の全8回公演。どうぞ、ご期待くだ
さり、ご来場くださいますよう、私は強く願っています。
勅使川原三郎
[メールマガジンNo.1313より]
〈ロンドン報告〉
今日は3月23日です。私たちは今ロンドンに滞在しています。
アパラタスで上演した「平均律」の公演を終えて数日後には
ここに移動していました。その前のアップデートダンスシリーズ
の#60として上演した「白痴」をロンドンで公演するためです。
公演はすでに始まっていて、昨日の3日目の公演もブラボーの声
が響く素晴らしい雰囲気の中で終えることができました。
これはアパラタスでの多くの公演経験の賜物だと自覚しています。
そして感じたことがあります。アパラタスに普段からご来場いた
だいた皆様ともに、この「白痴」は作品として成長できたお礼を
言わなければならないと。本当に皆様と共に作品は伸び伸びと成
長しました。ここロンドンで改めて、荻窪のアパラタスの役割を
実感しています。ご来場とご支援ありがとうございました。
薄い一枚一枚のページのような一日の積み重ねがいつの間にか分
厚くなり深い物語が表れるように、アパラタスのステージ上の小
さな積み重ねによって初めて私たちの表現の形が見えてきます。
ここの舞台ではアパラタスのように公演直後のマイクを持った話
はないのですが、いつもその時と同じような気持ちでロンドンの
観客の前に立ってお辞儀をしています。劇場関係の方が、普段ロ
ンドンではこんなに長く拍手はつづかないのだと話していました。
そんな熱心な拍手、そして勢いのある掛け声を身体で受け取って
いると荻窪がよみがえります。公演後に様々な人々から声をかけ
られて立ち話をしていると荻窪を思い出します。
今日を含めてあと7公演がありますが、ますます良い公演になる
ように一日一日を大切にし、作品を大事に育てて、作品と一緒に
成長していきたいと思います。
繰り返しになりますが、
日頃からのご来場とご支援本当にありがとうございます。
勅使川原三郎
佐東利穂子
次回の報告は、公演している雰囲気のある
風変わりな劇場の内部を写真で紹介します。
[メールマガジンNo.1295より]
新年おめでとうございます
本年もよろしくお願いします
例年のように様々な海外プロジェクトや公演を行いますが、
アパラタスでのアップデートダンスシリーズをより充実させたいと
計画しています。毎月1回のペースで90以上の公演をする予定です。
また佐東利穂子が振付家としての活動を開始します。
稀有なダンスの才能が開花する年となるでしょう。
私たちは過去から学び、常に前を向くグループ33年目のKARASと
新たなダンス生命の誕生の場、7年目のアパラタスにご期待ください。
皆様にとってよい一年でありますように。
勅使川原三郎
[メールマガジンNo.1213より]