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2020.12.11
2020年12月11日

[再入稿]去年チラシ_アウトライン有(2020.10.31)-02
 
「去年」
 
男は女に確かに去年の同じ時期に会ったのだ。あなたは
覚えているはずだ、なぜあなたは無視するのかと問いつ
める。女は拒絶しつづけるが、、。
多くの物語や音楽に深く入り込むと、若さの無垢と不可
視の予兆の中にある絶望感の痛みを感じることがあるが、
それらは生きる者の不安から導かれているように見えて
くる、聴こえてくる。
「若さと不安」、今の私自身が対面したいものである。
壊れそうに同時に激しく対を成した「若さと不安」こん
なに美しく輝くものはない。
「去年」という作品は、私が正に「若さと不安」の真っ
只中に在った時に初めて見た映画からの影響によって作
品を作ろうと考えた。「老いと不安」ではない、今の私
がもつ「若さ」による不安を、迷いを力にしてダンスを
つくろう考えた。映画に登場する男女は虚無的で生気の
無い存在だが、私が出現させたいのは生き生きした「迷い」
だ。その現実から飛び立ったような特権的存在が今の時、
「去年」の中に湧き上がる。今の時代の迷いを強く生き
る力を見いだしたいのだ。去年とは一年前のことではな
いのだ。何百何千何万の時の重なりの裏側にいまだにあ
るのかもしれない。
原作の台本や映画に似通ったものや複製を用意するつも
りは毛頭ない。
かの時この時、我生く。
 
勅使川原三郎    

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2020.10.24
2020年10月24日

「ピアニスト」
微細に再構成した音楽、そして原曲。
人工自然の中に私たちのダンスの行き先は?
 
解体された、いや切り刻まれた楽曲、
私はそこに特別な音楽性を感じた。
原曲ゴルドベルク変奏曲はグレン グールドの演奏で
新たなバッハを提示したが、
すでに新しくはないしその必要もなくすばらしい。
ピアニストによって生成される音楽、
ピアノによって発せられた幾多の音の連なり、
私たち踊る者はそれら無数の響きを追うのではない。
同時に生成される身体の内と外に動きを発する。
ピアノをもたない私たちは問いつづける。
なぜ踊るのか?それはどこへ向かうのか?
グールドが尊敬したリヒテルの言葉、
「私はピアノより音楽を好みます。」
私たちはその時、
身体を強く傾けて一歩出す勇気を与えられる。
すばらしいピアニストたちへ感謝。
今日は公演3日目です。
 
勅使川原三郎
 
 
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2020.08.31
2020年8月31日

チラシ表面
アパラタスは丸7年が過ぎ8年目を新作「妖精族の娘」によってスタートをしました。実りある有意義な作品の公演を完了することができたことを深く感謝いたします。
つづきまして宮沢賢治作「銀河鉄道の夜」の初演です。原作を身体的に受け取り、文学というより詩学として、時間の区切りを超えた天の川に浮き沈みする命が、未知の響きに辿る旅であります。 

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2020.07.08
2020年7月8日

タルホ 稲垣足穂の破片
 
いわゆる少年が持つ葛藤、自己や世界の裏と表から直感する
 
戸惑いから一挙に救い出してくれたのがタルホの世界観でした。
 
奥底に沈殿する重さから浮上して軽やかに時間や場所に移動す
 
る軽やかさ、表面に広がる瞬間的永遠性、美のはかなさ、無声
 
映画のスラップスティックなイメージは現実にも展開できるの
 
だと自覚した。権威や高踏的経験など不要な自由を獲得した。
 
夢こそが現実、タルホが言う、夜空に浮かぶ月はブリキ製と知
 
った時から世界も時間も思い通りに取り扱って良いのだと勇気
 
づけられた。それは単なるイメージの遊びではなく生きる思想、
 
伝えられた古き文化風習の有り方は、良きも悪しきもその人間
 
の身体性によって異なる。新旧ではない時間の扱いには身体が
 
伴う思想が無ければ生かすことはできない。世界の価値は未だ
 
固定されていなくて、随時生きる者によって想像的に作られる。
 
そして古きものが現実になり、新しきものが古くなり得るのだ。
 
私はそのように生き、カラス アパラタスもつづいていくだろう。
                       勅使川原三郎
 
レイアウト案

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2020.06.08
2020年6月8日

永遠の気晴らし
音楽用語でいうディヴェルティメント(嬉遊曲)からの影響を受けた遊戯としてのダンスを展開するダンス詩集
 
 
危機とは私の生きる必要条件の一つです
快晴の広大な空を見ると感じることで、
永遠と危機は私に生のざわめきを呼び起こす命題であり、詩的な言葉でもあります
例えば、ランボーの詩のように
 
無限再生遊戯
終わりなく生み出される動き
私自身のダンスの方法論
始まりも終わりも無いダンス
 
その永遠性は突如として断絶するかもしれない流れでもある
しかしそれがいつ起こるのか知るよしもない
 
気晴らしは一時(いっとき)の間にするものと考える通例だが、
それがいつまでもつづくとしたらどうなんだという問い
逆に、ひとの一生なんて一瞬の気晴らしと言えないかという問い
どうせ生きるならゆったりのんびりおっとりしていて、
そのうちゆるやかに消えるように終われないかという問い
 
現実からの逃避ではなく、現実がそのようにありえないか、
人間はあれこれ悩まずにいられないのか
逆に苦痛を気晴らしとして受け取れないのか
 
私は主張する内容を持ちません
問いを発しつづけ、それを生きる力に変えられたらいいと考えます
もし永遠に気晴らしをするとしたら、
それはそれで大変そうですが、
しかし、きれいさっぱり矛盾をとりのぞくことができない人間、例えば私は、
あえて相反するものを葛藤させることで、能動的動きを生み出したいと考えます
まさにそれは私自身のダンスのメソッドなのです
 
全ては喜びに向かって進むために
 
 
勅使川原三郎
 
 
#71アウトライン無

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2020.01.01
2020年1月1日

新年おめでとうございます。
 
本年もどうぞよろしくお願いします
皆様にとって良い一年でありますように
2020年 元旦
勅使川原三郎/佐東利穂子/KARAS一同
 
 
「アパラタス」から「未知なる身体」へ
今年も私たちは、劇場「アパラタス」から出て「未知」を進みます。
新たな生命=ダンスを生みつづける身体装置は、考える鍛錬の回転力
を強め、内なる外界と深遠なる無意味を形にすべく冒険をつづけます。
佐東利穂子は、昨年振付家としてデビューした水から生まれた才能。
無と無限の間で踊るダンサー佐東利穂子の表現にご注目を願います。
勅使川原三郎は、4月から愛知県芸術劇場の芸術監督を務めます。
引き裂いた目と口で光の中の闇を吸い、酸素と炭素と詩を踊ります。
私たちは、地鳴りが響く踵を空気に打ち込んで、勇気と創意のバネを
利かせて「あっち」の方へ行ってまいります。
 
karas_nenga2020_1219入稿