Blog / ブログ

2018.12.03
2018年12月3日

IMG_2667のコピー
明日は「月に憑かれたピエロ」と「ロスト イン ダンス」の3日目最終公演で
す。初日から2日目と2つの新作は経験を積み、的確な修正も加えてより良い
作品になっていると実感しています。第一部の「ロスト イン ダンス」は正に
純粋ダンスです。踊りこむことによって作品は公演毎に成長するものですが、
特に佐東利穂子のダンスは音楽に動きを合わせるのではなく、彼女の体内から
音楽が湧き出るが如く様々な質感の変化と制御によってダンスそのものが体外
へ放射されるようです。昨日は彼女のダンスに比喩や暗喩はいらないと書きま
したが、やはり以上のことが申せると思います。これは私のダンスメソッドが
成せる技だと言えるのですが、技と言っても通常の意味以上に内生からの強化
され制御されたダンス技術です。これは一朝一夕には不可能な高度なレベルに
おいて、ダンスの可能性と価値を高める基礎があってのことです。
つづく「月に憑かれたピエロ」は、前作と世界観が異なる作品と言えますが、
語るように歌うこの曲独特の歌唱法の名手プスールさんは圧巻です。私たち
ダンサーは奇妙で美しい詩と楽曲と共に明暗の無数の変化、主に強烈な間接光
による闇に向かって終焉へと故郷へと盲目的に向かいます。色彩と音調と質感
とが尽きることのないENDへ、死のない永遠の生の恐怖へ、素朴な匂いに導
かれて、、、
道化はさまよい辿り着きます。
どうぞご来場ください。
勅使川原三郎
2018/12/3
                         [メールマガジンNo.1191より]

LINE
2018.12.02
2018年12月2日

IMG_1551のコピー
東京芸術劇場で「ロスト イン ダンス」と「月に憑かれたピエロ」の
世界初演初日。両方とも以前パフォーマンスとして公演したことは
ありますが、劇場の公演作品として公式に創作としては初演です。
多くの努力と多くの人々の協力の下に良い準備を重ねることができて
初めて仕事は完了する。それを身をもって深く感じています。なんて
素晴らしい創作プロセスを経てきたのだろう。そしてなんて清々しい
公演後の気分だろう。この夜の楽しさは格別です。シェーンベルクの
音楽は世間一般には「難しい」と言われますが、この言葉ほどいい加減
な表現はないでしょう。あのひとは難しいとか大体が良い意味ではなく
つまらない対象に向けられては、阻害しようという意図があって私は
嫌いな表現です。
「月に憑かれたピエロ」の音楽がもつ豊かさは時を経て、時代を越えて
響く魅力に溢れています。長年の望みだったこの曲をダンス作品にする
夢が叶いました。音楽にひきつけられて私は多くのことを学びましたが、
やはり作品化する目的によって私の集中する仕事の仕方は大いに勇気づけ
られ、不可能であったことがいつしか達成している現実に出会うことが
できたのです。
そんな楽しいことはありません。まさに音楽の贈り物であります。
この新作の前に「ロスト イン ダンス」を佐東利穂子を中心に踊りまし
た。佐東利穂子のダンスへの献身の純真な力に比喩をつけることはでき
ません。ただただ私は総体的な指示を出し、動きへの導きを簡素に与えた
だけですが、彼女はどこから来るかわからない見えない具体性を湧き立た
せつづけるのでした。
美という言葉がもつ一般性や個人趣味的な狭い観念が手垢のついたものを
多く見せられてきた者たちにとって、疑いの斜めの目つきになるものです。
しかし彼女から感じる美は本物です。その一言に尽きます。このダンス作品
は、その言葉一つに尽きます。
僭越ながら、そのように言わせていただきます。
今日から学び、勇気を持って明日の二日目の舞台を務めることを
ここに誓います。
                            勅使川原三郎
                             2018/12/2
                         [メールマガジンNo.1190より]

LINE
2018.11.27
2018年11月27日

月に憑かれたピエロRGB
「月に憑かれたピエロ」と「ロスト イン ダンス」の初演は、
今週末の12月1日から始まります。この2つの新作は対を
なすものと言えるでしょう。普通一般が共通に持っている
美しい音楽というのではないのですが、その高度な音楽演奏
と舞台装置、語るように歌うマリアンヌ プスールさんの素晴
らしく魅力的な歌唱、佐東利穂子と私の2人が不可思議で異質
な美を体現します。それは「変身」するダンスです。
第一部の「ロスト イン ダンス」は佐東利穂子が踊る
「ダンスギリギリのダンス」と言えるまでダンスし、個性という
ものを失うほどで、私が彼女のダンスの捧げた作品です。
佐東利穂子のこの10年の成果は異常とも言えるほど高度で
魅力的ですが、特にこのダンスには彼女の頂点を見ることに
なるはずです。
第2部はシェーンベルクの名曲に新たな展開を与えたものです。
私自身の装置デザインと照明デザインが、光によって闇をあぶり
出します。奇妙で素晴らしい音楽に身体の詩、空間の詩、
言葉の詩、そんなアリキタリの詩ではない、詩人のいない詩が、
眼球を切り裂く盲目的眩さ(まばゆさ)、くらんだ目の中の
出現と消滅が、、、月に憑かれた道化を夜空に放り出す、いいえ、
道化は故郷の帰っていく、彼に故郷などありもしないくせに!
                                         
                             勅使川原三郎
                            2018/11/27
                         [メールマガジンNo.1187より]

LINE
2018.10.18
2018年10月18日

私と佐東利穂子は「トリスタンとイゾルデ」の公演のためにモスクワにいます。明日明後日の公演後、東京に戻ります。
 
今年の後半を簡単に振り返りますと、、、
6月から北欧に長期滞在してバロックオペラとダンス作品の創作上演を終えて帰国直後、私は真夏のアパラタスでの「火傷の季節」公演をしました。その時、佐東利穂子はフランスでモンテベルディの曲で踊ってましたが、東京に戻ってから、アパラタスで「幻 - ファンタスム」がありました。
9月中旬にフランス、リヨンでリヨン交響楽団とベルリオーズの「幻想交響曲」を共演しました。 (このプロジェクトは来年秋にパリのフィルハーモニーで再演します。)

その後、パリに移動してシャイヨー劇場で「白痴」のヨーロッパ初演(アパラタスと同様に8回公演)しました。これがとっても素晴らしい公演がつづき、またまたアパラタスで誕生した作品が、生き生きと成長していることを深く実感しました。様々な媒体の反応もとても良く作品が、私と佐東利穂子にとっていかに重要で価値が高いものであるかを自覚しました。

東京の公演と同様に、単なる身体表現のダンスではなく観客の方々が文学的内容も含めて内面の深いところに達するまで作品から発したものを受け取ったようです。公演後の批評だけでなく、多くの観客が直接私たちに語りかけてくれたのは、感情を揺さぶられたことと私たちの独自の身体と動きがダンスとして類のないものだということでした。
パリを離れて、次はイタリア、ミラノに移動して佐東利穂子のソロ作品「SHE」の公演をしました。
これも彼女の全身全霊を込めたダンスは特別な輝きを発しました。
様々な角度から内面と身体の動きが反射するように輝き、時に沈殿する存在が予兆を許さない展開によって素晴らしい1時間を作り上げました。
公演後の鳴り止まない拍手と歓声、楽屋に戻ろうとしてもまだまだおさまらない 拍手に何度もアプローズを繰り返しました。
その公演直後には車で次の公演地フェラーラに3時間かけて移動しました。
作品は「白痴」です。ここでの「白痴」はまた新たに成長したように感じる出来でした。東京そしてパリ同様、あるいはそれ以上に何かを見出していくように思えてなりません。
 
 
そして今、私はモスクワにいて思うことがあります。
以上に書き連ねている出来事は、
事実であり一夜一夜が全く新たな出来事や出会いの大事な時でありました。
私は私たちが成し得た成果を自慢気に書いているのではなく、皆様が来られてご覧いただいたアパラタスで公演の直後の私たちがマイクを持って話しました公演後の変わらぬ生き生きとした実感を伝えさせていただいたのであります。
繰り返しますと、アパラタスでの公演の価値は、今日々まさにアップデートしているのです。
そのことを私は伝えたいのです。1日1日を大事に生きる、と同様に一回一回を大事に公演する。
それがそのままヨーロッパでも、なんの力みも装いの変えもなく、全く荻窪にいるがごとくのびのびと公演できる喜びを日本に東京に荻窪におられる方々と共有したいと実感しています。
 
モスクワでの「トリスタンとイゾルデ」の後、東京に戻り、すぐに秋田に移動して「白痴」を公演します。それも今から楽しみです。
 
皆様、お元気で、
また荻窪 アパラタスでお会いしましょう。
                                         
                             勅使川原三郎
                            2018/10/18
                         [メールマガジンNo.1159より]

LINE
2018.09.30
2018年9月30日

現在、私はパリに滞在しています。
アパラタスでの「火傷の季節」と「幻」の2つの初演公演を終えた
直後にフランスに移動しました。まずリヨンのフィルハーモニーオー
ケストラとベルリオーズ作曲の「幻想交響曲」を佐東利穂子と私の
デュエット作品として踊りました。
全5楽章55分の大曲で、多くの人が大変な挑戦だと噂されていました
が、公演の成果は素晴らしかったと報告させていただきます。
これはフィルハーモニーの2018〜19シーズンのオープニングとリヨン
ダンスビエンナーレの招待創作作品として初演されたものです。
音楽とダンスの力強い融合とダンスの新たな可能性を示唆するものと
自覚しています。巨大なオーディトリアム満杯の観客の盛大な拍手と
歓声を得て、この稀有なプロジェクトが成功したことをフェスティバル
のスタッフ共々大いに喜びを分かち合いました。このプロジェクトは
今後もつづき、来年はパリのフィルハーモニーのオーディトリアムや
他の都市でも再演が予定されています。
 
その後、ここパリに移動してシャイヨー劇場での「白痴」のヨーロッパ
初演全8公演で、今日はその4日目になります。まさにアパラタスで2年
前に生まれた作品は、今年6月に再演し成長を感じたばかりでしたが、
今私はこの作品がまた育ってきたという強い実感があります。音楽構成
を少し変え佐東利穂子のパートを増やす等の変更も良かったと思います。
以前よりも内面深くに向かう内容になっています。観客の中には何人も
の方々が涙を流すほど感じ入ってくださいました。涙が出ることが良い
と私は言いたいではなく、身体表現と言われるダンスには内面の深い
ところまで届く力を持ちうるのだということを実際に表し語る人がいる
という事実に向き合うべきだと思うのです。
時々、ダンスの娯楽性や前衛性のようなことを口にされる方がいますが、
私がやりたいことは一般共通理解されるダンスではありません。人間
が言葉で表現している内容や世界観を含めて、単なる意味伝達のため
ではありません。公演で見聞きする体験によって「人間が生に何を求め、
何を向かわせているか」を問えることを表したいと私は思っています。
ドストエフスキー原作「白痴」がダンス作品になる時、小説から飛翔
する内容のエッセンスが身体化されるのです。逆に言えば小説の身体化
によって過去の文学と現在の身体(私たちの)を結びつけ溶け合わせる
ことができるのだと感じました。
 
パリでの「白痴」を来週までつづけた後、私たちはイタリアに飛び、
ミラノで佐東利穂子のソロ「SHE」、そしてフェラーラでは「白痴」
の再演をします。
 
今後も公演ツアーの報告をします。
今日はここまで。
日本では台風により天候不順のようですが、どうぞ気をつけて。
そして、その後の美しい秋を、日本晴れを天高く仰げますように。
 

                      勅使川原三郎
                       2018/9/30
                       [メールマガジンNo.1148より]

LINE
2018.08.18
2018年8月18日

No.53_アウトライン-01
10歳の夏、私は右肩に大きな火傷をした。母に連れられて大急ぎで
病院に行き診てもらった。医師が扱うピンセットは肩の皮膚をいとも
簡単にぺろり剥いた。その跡は数カ所に水泡がある激しいケロイド状
になっていて、翌日から患部に光線を当てる紫外線治療が始まった。
独特の冷たい光を数分間当てるのですが、その冷んやりした光は独特
の匂いを放つ。私は一種恍惚状態になり静かな病室にうっとりと佇む。
治療が終わると早く明日にならないかと待ちわびて、冷たい匂いが鼻
から離れず、秘密の冷たい光線を浴びている特殊な身体の所有者とし
ての喜びを隠し持ち、火傷をして良かったと思いました。
後年知るのですが、それはオゾンの匂いで、真夏の強い日差しの影に
微風のようにあの匂いが通ることがあります。
それは遠い日の古い記憶ではなく何度でも蘇る美しい光の匂いであり、
私にとっては「美」といえます。不思議な光線の冷たい匂いと熱い
皮膚とがもたらした冷たい快感で、それが私にとっての「夏」でした。
つんのめりながら「火傷の季節」で始まった6年目、不可解な日々を
転がし転がり転がされアパラタスはもっともっとアップデートします!
 
                       勅使川原三郎
                       2018/8/18
                       [メールマガジンNo.1122より]

LINE
2018.05.07
2018年5月7日

メルマガ用580×330 
 
昨日、「調べ」の最終公演を終えました。

 
なんと充実した日々であったかを言葉で表すのは難しいです。

ありがたく、楽しくはあったのですが、そうです、そのうれしい

充実であったのは確かで、そういうことが自然なのだと思います。

 
しかし、そのうれしさの中にあった高度な、いや私としての、たぶん

共演した佐東利穂子としての極地と言うと大袈裟に聞こえるかもしれ

ませんが、これ以上ないのではないかというなにかに触れた、そんな

皮膚感覚的な体験をしたと言っても許してもらいたいのです。

 
ダンスをどのように踊っているのか、あるいは作品をどのように作っ

ているのか、私はいまだに明解な口調で答えられません。いつくかの

考えや以前からの思いが折り重なって、強烈な戸惑いに手伝ってもら

いながら自己の発するかすれて聞こえにくくて、時として回りくどい

言い回しに魅了されながら自己葛藤に明け暮れる日々、そんなある時、

もうはじまりも終わりもない薄暗く冷たい水面に身を投じて、すでに

身体の存在感覚を失った私は、居なくなった自分をそのままにして、

風が吹いてくる方向に目をつぶって前傾姿勢を深めるのです。すると

大きな手がやってきて私はすくい取られているのに気がつきます。

 
そのあと少しすると私は舞台に光を分散させていて、佐東利穂子がほ

んのりと消えるように現われる、つづいて勅使川原三郎が空気から分

け入ってくる、同時に宮田まゆみさんが音の出る細い竹細工を両の手

に抱いて舞い降りてきました。すでに始まっていてすでに終わっても

いる公演が今もつづいています。私の感じている世界にはまだあの

公演はつづいています。

 
ご来場くださいました皆様、どうもありがとうございました。

この公演後記を読んでおられる皆様、どうもありがとうございます。

私たちは、これからも大事なことを大切にしながら、

作品をつくり公演をつづけていきます。

どうぞよろしくお願いします。
                         
 
                       勅使川原三郎
                       2018/5/7
                       [メールマガジンNo.1057より]

LINE
2018.05.06
2018年5月6日

メルマガ用580×330 
 
昨日の三日目の公演を終えて、本日が最終四日目の「調べ」公演です。

 
一昨々日の初日から今日の公演まで、とても充実したダンス経験を

かさねました。

それは不思議な感覚を伴っているのにも気がつきました。

遥か以前からの長い時間が経たようなという言い方を自分に問いかけ

たのですが違っていて、むしろ長い時間を失った感覚が強くあります。

 
私が常々ダンスに向かう時に感じ考えることですが、、

ダンスはいつ始まるのか、いつ終わるかわからないものではないのか。

「始まりも終わりもない」ことを踊りたいと願い、作品というものも、

公演することも初めと終わりは、一つではないのかと、普段、仲間の

佐東利穂子と話していました。今回宮田さんと改めて出会った時に、

宮田さんから笙の音楽性やご自身の演奏について、同様のことを話さ

れたので、これは必ず良い公演になると予感しました。実際に稽古や

公演の舞台上で私が感じたことは、、

 
無時間、時間が無く、何かが常に生まれてくる区切りの無い時、

空気に溶けた時、命と等しい時、終わりが無く、はじまりも無い時、

時も無く、現れては消え、消えては現れる、

無いとあるが等しく溶け合っている、、

 
そして今、

私と佐東利穂子と宮田まゆみさんの三人が溶け合っていると感じます。

それがダンスの作品として提示できることがうれしく、感謝します。

                         勅使川原三郎
本日の「調べ」にどうぞご来場ください。
                         2018/5/6
                         [メールマガジンNo.1056より]

LINE
2018.05.04
2018年5月4日

メルマガ用580×330 
 
「調べ」初日。とても良い公演だったと私は感じています。

ここから多くのことを考えて、公演時の感じたこと以上の

大切なものを得たいとすでに、貪欲な私は思っています。

公演は一過性のものではなく、まるで種まきのように、

水をやり陽にあてて注意深く付き合うのです。その後の

世話の仕方によって、大事にする手つきによって育てる

べきものから的を外してはならないと私は考えています。

 
私と佐東利穂子、このふたりは数多くのデュエット作品を

踊ってきました。今回の新作「調べ」もデュエットですが、

共演者として笙の演奏家、宮田まゆみさんとのトリオと

言ってよいでしょう。今回はいままでの演奏家とのライヴ

公演の際に行われるリハーサルよりも多くの機会を得まし

た。その場その時の演奏が変化する様は特殊で、聴覚的

音響より時間の変容と言える経験でした。

全く無音で踊った「静か」の時とも異なった音の経験で

した。

しかし笙の演奏が主でも、ダンスが主でもない関係こそが

重要と私は考えています。

音楽と身体の動きの双方が、作り上げる「事実としての非

日常性」、それこそが芸術です。

 
何かが昨日始まり、そして今日、それが成長する。

私たち人間の生は、そんなものではないでしょうか。

いや自然の全ては、そのように始まり、成長し、いつ果て

るかもしれない成長をつづけようとし、ある時、それが

途絶える時を迎える。

私は、この「調べ」という作品が私の他の作品と同様に

生命を得たのだと、喜んでいます。

公演とは、作品とは私にとって誕生した新たな生命なのです。

 
二日目の「調べ」の公演にどうぞご来場ください。
                      

                     勅使川原三郎
                     2018/5/4
                     [メールマガジンNo.1055より]

LINE
2018.02.24
2018年2月24日

5月にシアターX(カイ)において新作を公演します
 
「調べ 」- 笙とダンスによる-
 
天からゆるやかに舞い降りる音の薄い箔
佐東利穂子と勅使川原三郎は、透明になって現れ
千年以上前からやってくる風に舞い上げられる
笙の演奏家である宮田まゆみさんが、奏でる古来からの時
永遠との透明の会話が、聴こえ途切れることはない
踊るべくもないほどに踊った後のような我々は
始まりも終りも無いところ(領域)に踏み入る恩恵をいただく
それが我々にとってのダンスの始まり
演奏家の呼吸がそのまま音楽になり
踊る者の呼吸がそのまま踊りになる
三人の呼吸家は天空にのぼり地表をすべり
風よりも遠くへ、呼吸よりも深く高く
宮田まゆみさんの笙の演奏が、古来から引き寄せる音(ね)
我々が出会う今、湧き立つ音(ね) 
調べ
我々踊る者に与えられた幸運の響き
生を失う時のあっけなさと生きているまどろっこしさ
生きる重苦しさから解放されたいという願い
(もっと生きたいという願望への恥じらい)
音楽に託すことへの恥じらいを棄ててもいいのだと
「調べ」は感じさせるのです
 
                 勅使川原三郎
                 2018/2/24
                 ブリュッセルにて[メールマガジンNo.1034より]

LINE
2018.01.02
2018年1月2日

2018カード候補最新iro
               photo by Alfredo Anceschi
 
 
新年明けましておめでとうございます
 
 
今年も私たちの活動にどうぞご期待ください
 
アパラタスのアップデートダンス シリーズにご来場くださいますよう、
よろしくお願い申し上げます
 
 
今年はいままでよりも多くを学び
 
心よりでてくる考えを積み重ね
 
深き思いをかたちにすべく
 
身体に正直に表現する営みを
 
生き生きと実行していきます
 
終生の友である困難を味方にして
 
全てのことの助けをかりて
 
人々に感謝して
 
言い切れない思いを共通言語として
 
過去を大事に来るべき時に
 
全身全霊をかたむける喜びを
 
表します
 
心を明るく保ち
 
身体をのびのびと活動します
 
皆様にとりまして良い年でありますようにお祈り申し上げます
 
 
勅使川原三郎
2018正月