永遠の気晴らし
音楽用語でいうディヴェルティメント(嬉遊曲)からの影響を受けた遊戯としてのダンスを展開するダンス詩集
危機とは私の生きる必要条件の一つです
快晴の広大な空を見ると感じることで、
永遠と危機は私に生のざわめきを呼び起こす命題であり、詩的な言葉でもあります
例えば、ランボーの詩のように
無限再生遊戯
終わりなく生み出される動き
私自身のダンスの方法論
始まりも終わりも無いダンス
その永遠性は突如として断絶するかもしれない流れでもある
しかしそれがいつ起こるのか知るよしもない
気晴らしは一時(いっとき)の間にするものと考える通例だが、
それがいつまでもつづくとしたらどうなんだという問い
逆に、ひとの一生なんて一瞬の気晴らしと言えないかという問い
どうせ生きるならゆったりのんびりおっとりしていて、
そのうちゆるやかに消えるように終われないかという問い
現実からの逃避ではなく、現実がそのようにありえないか、
人間はあれこれ悩まずにいられないのか
逆に苦痛を気晴らしとして受け取れないのか
私は主張する内容を持ちません
問いを発しつづけ、それを生きる力に変えられたらいいと考えます
もし永遠に気晴らしをするとしたら、
それはそれで大変そうですが、
しかし、きれいさっぱり矛盾をとりのぞくことができない人間、例えば私は、
あえて相反するものを葛藤させることで、能動的動きを生み出したいと考えます
まさにそれは私自身のダンスのメソッドなのです
全ては喜びに向かって進むために
勅使川原三郎
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