Works / 活動紹介

トリスタンとイゾルデ

構成 振付 照明 美術 衣装 選曲:勅使川原三郎
出演:佐東利穂子, 勅使川原三郎
 
照明技術:清水裕樹(ハロ)
音響技術:三森啓弘(サウンドマン)
衣装製作:武田園子(ヴェロニク)
 
主催:有限会社カラス
企画制作:KARAS
特別提携:シアターX(カイ)
助成:文化芸術振興費補助金(舞台芸術創造活動活性化事業)
 
上演時間:60分
初演:2016年5月 カラス・アパラタス
 
公演歴:
2017年 レッジオ・エミリア(伊)
    リュブリャナ(スロヴェニア)
2018年 香港
リヒャルト・ワーグナー作曲のオペラ上演は、本来4時間におよぶ
壮大な音楽劇ですが、私たちはダンスとして1時間にまとめました。
巨大な演奏も驚異的な歌唱も常に密やかで実に繊細です。
闇に消え入るようなはかない人間の内側に深く沈んでいる感情が横たわる夜の幕を
一枚一枚はがすように描きます。
冷たすぎる夜、熱すぎる感情、音楽の背後の深い沈黙、引き裂かれる闇、
原作にある不可能な愛、死、人間への郷愁という秘密の刻印を、
私は全身に焼きつけられた感覚を否定できません。
前奏曲「愛の死」から始まる音楽が、悲劇的陶酔によって幾度も身も心も奪い取る。
その時、私は無限循環という死と生の理想をダンスにしたいと強く願っていました。
つまり私にとりまして、死と生の無限循環こそ生き方のひとつの理想で、
そっぽを向きながら、公演実現の企画を虎視眈々と狙ってもいたのです。

私と佐東利穂子と仲間たちは、日々新たに生まれるようにして呼吸し踊っています。
ここに在る力、物事や気持ちを常に率直に感じ取る稽古が基礎です。
絶え間ない自問自答から逃げず、不条理や不可能生が共通の友人で、
自分から離れた我として呼吸する身体を踊らせる時、
新しいも古いもない、これしかないダンスが生まれるのです。
私たち仲間は、そのようにダンスを語る事ができます。
目の前にある「時刻」に我の全てを投げ出す覚悟、
それは私たちの「ダンスの時」であり、「トリスタンとイゾルデ」が、
与えてくれる貴重な「生」であります。
「死」が透けて見えるような、真水のような「時」といってよいかもしれません。

                              勅使川原三郎

ギャラリー
レビュー(抜粋)
「舞踊とオペラの奇跡的な融合」岡見さえ 氏
ダンスマガジン 2017 年 7 月号
勅使川原三郎の創作活動は驚くべきである。 欧米の名だたる劇場に招かれ、国内では劇場で新作を 上演し、時を惜しんで荻窪のアパラタスでも毎晩踊る。 そしてこのスタジオでの実験が、劇場公演に活かされる。 本作も昨年六月アパラタスが初演である。十九世紀末に 生まれたリヒャルト・ワーグナーのオペラ『トリスタンと イゾルデ』から「愛の死」をはじめとする音楽を抜粋、 勅使川原と佐東利穂子が標題役を踊る。騎士と王妃の 立場を越え密かに思いを通わせ、互いに毒薬と信じて 仰いだ愛の媚薬を契機に不可能な愛に苦しむ二人に焦点を絞り、ダンスは展開する。
闇を繊細に照らす照明が、空間を表情豊かに造形する。 そして舞踊とオペラの融合が奇跡的だ。勅使川原の振付ならではの空間を切り裂く鋭い動きと、 佐東が近年発展させてきた繊細で柔和な腕先の動きが、転調を繰り返す音色、甘美な声のうね りと出会うと、観客の五感を強烈に揺さぶり、理性と情熱のあいだで揺れる彼らの感情はおろか、 運命の地へ二人をいざなう船の、あるいは深い森の木洩れ日のゆらぎといった、作品が直接に は語らない物語の宿命の景色さえもが感覚に蘇るようだ。私たちが忘れてしまった夜の闇の深 さを、そこに潜む怖れ、官能、無限の可能性を解き放つ術を、勅使川原ほどに知る振付家はいない。 可視と不可視の、音と沈黙のあわいを探る、数々の実験の成果がここにある。 前半では、息もつかぬ速さで互いの存在を確かめるように身体の輪郭をなぞり、寄り添い、抱 き締めるデュオが印象的だ。高速で、一瞬ごとに互いの動きに反応し合いながらもけっして触 れ合わない二人は、不可能な愛を視覚化する。後半の、トリスタンの死に続くソロも忘れ難い。 勅使川原が黒いコートを残して立ち去ると、この魂の抜け殻を佐東は余すところなく愛撫し、 胸に抱き、ヴェールのごとく頭に覆い、声にならない叫びをあげる。溢れ出す情熱の記憶を、陶 酔と絶望を、現実の生が失われて可能となった愛の逆説を、抑えた動きも交えて佐東は気高く 踊り続ける。 圧倒的な一時間の、どの瞬間もが新鮮で、強く、美しい。愛と死という特権的な瞬間を、その 強度を舞踊によって生きることで、勅使川原と佐東は怠惰な生の連続性を切断し、瞬間ごとに 死して蘇る純粋な生の可能性を提示する。そしてそのとき、いかなる媚薬によってか、運命に 偶然に置かれたいま/ここと永遠を繋ぐ真理の探求に魅入られた二人の芸術家の姿はトリスタ ンとイゾルデという宿命の形象に重なりあうのだ。 
森岡実穂 氏 (中央大学准教授、オペラ演出批評)
とにかくこのオペラを愛している人に観てほしい、と思った。誰よりも深い愛と憧れを体験する人間は、誰よりも壮絶な孤独に向きあうことになる。孤独の極北を語るオペラとしての『トリスタン』。(中略) トリスタンとイゾルデは、互いが生きている間には、どれだけ手を伸ばしてもすべてを手にできない限界に、渇きと憧れを果てしなく更新し続ける。そしてトリスタンが喪われたのちにあらわれる、二度と埋められることのない巨大な空虚。彼がいなくなったら、彼女は宇宙にただひとりなのも同じ。いままで色々な《トリスタン》を観てきたが、ここまでの欠落の感覚を得たことはなかった。オペラの場合には、どうしても彼らのまわりに「社会」が見えてしまい、彼らの愛の成就の困難に対して外的な要因を無視できない。この舞台では、何もない空間でのダンスによって、二人の精神のありように集中することができた。異なる表現媒体だからこその素晴らしい到達点がある。