ここから多くのことを考えて、公演時の感じたこと以上の
大切なものを得たいとすでに、貪欲な私は思っています。
公演は一過性のものではなく、まるで種まきのように、
水をやり陽にあてて注意深く付き合うのです。その後の
世話の仕方によって、大事にする手つきによって育てる
べきものから的を外してはならないと私は考えています。
私と佐東利穂子、このふたりは数多くのデュエット作品を
踊ってきました。今回の新作「調べ」もデュエットですが、
共演者として笙の演奏家、宮田まゆみさんとのトリオと
言ってよいでしょう。今回はいままでの演奏家とのライヴ
公演の際に行われるリハーサルよりも多くの機会を得まし
た。その場その時の演奏が変化する様は特殊で、聴覚的
音響より時間の変容と言える経験でした。
全く無音で踊った「静か」の時とも異なった音の経験で
した。
しかし笙の演奏が主でも、ダンスが主でもない関係こそが
重要と私は考えています。
音楽と身体の動きの双方が、作り上げる「事実としての非
日常性」、それこそが芸術です。
何かが昨日始まり、そして今日、それが成長する。
私たち人間の生は、そんなものではないでしょうか。
いや自然の全ては、そのように始まり、成長し、いつ果て
るかもしれない成長をつづけようとし、ある時、それが
途絶える時を迎える。
私は、この「調べ」という作品が私の他の作品と同様に
生命を得たのだと、喜んでいます。
公演とは、作品とは私にとって誕生した新たな生命なのです。
二日目の「調べ」の公演にどうぞご来場ください。
勅使川原三郎
2018/5/4
[メールマガジンNo.1055より]