なんと充実した日々であったかを言葉で表すのは難しいです。
ありがたく、楽しくはあったのですが、そうです、そのうれしい
充実であったのは確かで、そういうことが自然なのだと思います。
しかし、そのうれしさの中にあった高度な、いや私としての、たぶん
共演した佐東利穂子としての極地と言うと大袈裟に聞こえるかもしれ
ませんが、これ以上ないのではないかというなにかに触れた、そんな
皮膚感覚的な体験をしたと言っても許してもらいたいのです。
ダンスをどのように踊っているのか、あるいは作品をどのように作っ
ているのか、私はいまだに明解な口調で答えられません。いつくかの
考えや以前からの思いが折り重なって、強烈な戸惑いに手伝ってもら
いながら自己の発するかすれて聞こえにくくて、時として回りくどい
言い回しに魅了されながら自己葛藤に明け暮れる日々、そんなある時、
もうはじまりも終わりもない薄暗く冷たい水面に身を投じて、すでに
身体の存在感覚を失った私は、居なくなった自分をそのままにして、
風が吹いてくる方向に目をつぶって前傾姿勢を深めるのです。すると
大きな手がやってきて私はすくい取られているのに気がつきます。
そのあと少しすると私は舞台に光を分散させていて、佐東利穂子がほ
んのりと消えるように現われる、つづいて勅使川原三郎が空気から分
け入ってくる、同時に宮田まゆみさんが音の出る細い竹細工を両の手
に抱いて舞い降りてきました。すでに始まっていてすでに終わっても
いる公演が今もつづいています。私の感じている世界にはまだあの
公演はつづいています。
ご来場くださいました皆様、どうもありがとうございました。
この公演後記を読んでおられる皆様、どうもありがとうございます。
私たちは、これからも大事なことを大切にしながら、
作品をつくり公演をつづけていきます。
どうぞよろしくお願いします。
勅使川原三郎
2018/5/7
[メールマガジンNo.1057より]