「寂しい」や「悲しい」を連発し「望み」を失っては詩を書いた
男は、自らを神から選ばれた詩人と鼓舞しつづけた「弱虫」とは
逆の強靭な精神を私は見ます。「諦め」という言葉さえ詩作の動
力にしてロックのような独特のリズムやノイズをかき鳴らした。
他人や自分を蹴飛ばし蹴飛ばされた中原中也は、自分は人間以前に
詩人で、人に嫌われても神に好かれていると思っていたに違いない。
私は中原中也の詩に高い音楽性を聴く。なぜ聴こえるのだろう?
言葉が身体を持っている、つまり動く身体のような言葉が見える。
もちろん細やかな情感、感情の起伏が表れているが、私には現象と
しての物を正確にデッサンするような的確な描写力があると感じる。
まるで優れた演奏家のような音を聴き分け、音を創出する高い技術
を彼の詩の中に見出す。感情の直観的な表現ではないある種の古典
を感じるのだ。モダニズムやシュルリアリズムの影響は否定できない
が、バロック音楽やロックミュージックのようなアタックやスピード
感にも古典的(古いという意味ではない)な純度があるのだ。
今、制作練習中で最終的な形をここで表すことはできない。
私自身もとても興味深い作品になりそうだという予感は大いにある。
勅使川原三郎
2018/12/6
[メールマガジンNo.1194より]
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