2017年11月20日

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今日は「顔 Faces 」の3日目です。
昨日の公演は、初日からまた一歩踏み出したダンスと語りでした。
佐東利穂子のソロ公演がもつ独特の空気感は、固有のものです。
昨日の公演を観た作者の私が気づいたのは、この作品自体が発する
闇や湿気、温度変化からくる体質のうつり変わりなどが、
上演中ずっと持続し保たれていることです。
それは驚きに値します。
内生する感情が発声の仕方や言葉の選び方、紡ぎ方、そして
身体全身の細やかな動きの連なりとして目に見えてくる。
抽象的過ぎてすこし陳腐な表現になりますが、彼女は身体空間の
質を変えながら生きている、それをダンスにしていると
私は感じました。そこに美が表われました。流れ漂い変容する
目に見える声として、見えない身体とともに、身体化した時間を
溶かしながら、私は終始佐東利穂子の見えない顔を追いつづけました。
彼女は公演後、「公演中にずっと見つづけていたから目が疲れたの。」
と目を静かに押さえながら話していました。
私たちは彼女が見ていたものを追いつづけていたのかもしれません。
「顔」とは見えない何かを見る為の表面なのかもしれません。
毎回、佐東利穂子は別な時間を生き、ものを見て、言葉を発しつづけ、
身体を生きつづけています。
今日、3日目の公演があります。                       
                         勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.963より]

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