2016年3月14日

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3月12日にゲーテボルグ オペラ ダンスカンパニーへの創作作品
「トランキル」が世界初演しました。
休憩をはさんで2年前に初演した「メタモルフォーシス」も上演し
2作品とも、大きな成功をおさめました。
この2作品によるプログラムのタイトルが、
「TESHIGAWARA」と名付けられ、4月中旬まで
同オペラ劇場で上演されます。
新作「トランキル」は約40分の19人のダンサーが踊る作品です。
今回の創作の特徴は、佐東利穂子が出演したことです。
特別出演という形ですが、このカンパニーの一員として
彼女の秀でたダンスの力は、
作品全体を新たなダンスの価値へ導いたと私は今考えています。
アパラタスでの連続公演直後に東京を発ち、
現地のダンサーたちと濃密な稽古を重ねました。
日々の稽古経験によってダンサーたちの成長は、
作品の質を高めたと思います。彼らが真剣に学んだ私のダンスメソッドが、
実質的にダンスそのものへの挑戦であることを
再確認した一ヶ月でもありました。
毎日の稽古の後、疲れきったダンサーたちの顔の表情が
晴れやかな笑顔だったのは印象的です。
そこには充実した心身が感じた喜びが溢れ出た明るさと
言ってよい暖かみがありました。
その時、私も佐東利穂子も同様の喜びを共有していたのは当然です。
そして翌朝、私たちが再会する広々としたダンススタジオには、
創作の難しさに立ち向かうダンサーたちの重く、
すこし冷えたような足取りが集まってきます。
外は雪で、始まったばかりの一日がまだ目覚めていないと思うほどです。
しかしそういう日は始めのうちだけで、
稽古のはじめから私からなんの指示無しに活き活きと
ウォームアップを始めるのが当たり前になってきました。
それは以前から彼らに求めていることですが、
自分の身体管理はすべて自らやることが一番という、
稽古に入る前からの心構えを求めていたことでもあります。
当然なのですが、それを怠ると故障の基になるのです。
自己責任、自己管理は最低限の要求です。
以上のように書いていると創作内容にまでは、なかなか行き着きませんが、
ダンスの稽古や創作というものは、細かいことの積み重ねなのです。
丁寧に丁寧にを積み重ねて、そしてある時から大胆になる、
そして丁寧と大胆とが絡み合い形が現れる。
つまり構成が決められる段階に辿り着く。
私はそのように作品に近づきます。
そういうプロセスの話をダンサーたちには、毎日話しました。例えば、
新作を作る為には、私たちは来るべき作品の為の言葉、
あるいは言語を持たなければならないと私は話します。
ランゲイジ、共通言語、共有する価値観を作る為の言葉使い、
それは話し言葉や書き言葉に限定されるものではなく、身体的な言葉使い、
1つの単語がなにを意味するかを分かち合えるかどうかが
とても重要なのです。話しているつもり、聞いているつもり、
理解しているつもり、、ではだめです。
つもりなど入り込む余地があってはいけないのです。
つまり身体が実感していることが共有、
共感できるレベルまで身体感覚を高めなければ、
新作創作の為に新たな身体言語を持ちましょうなどと言っても、
なんのことやら全く理解できるわけがありません。
しかし私が求めるダンスというものは、
そのような経過を経験することによって随時獲得した感覚を
再度いや何度でも試みることを可能にすると、私は考えます。
言葉で随時に起きる身体の動きを表現することできること、
実感を新たな経験として生きることなのです。以上の書き方は、
読者の方々に受け取っていただけるか難しいところですが、
実際にこのように稽古を進めました。
ですから、公演の成果について述べるのは、
稽古のプロセスからはかなり遠くに離れていることのようでもあるので、
あまり心地の良いことではないのです。
しかし実際に素晴らしい成果であったことは本当なので、冒頭に書きました。
今日はこのくらいにして終りにします。
次は作品内容に関わることを書きたいと思っています。 

                     2016/3/14 勅使川原三郎
                       [メールマガジンNo.336より]

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