2016年12月15日

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昨日はシアターX(カイ)にて「白痴」公演の初日で、
計5回公演が開けました。初演は荻窪の我が劇場アパラタスでしたが、
構成を中盤以降変えました。ナスターシャの死を悼む場面に重点をおき、
配役として登場しないロゴージンを想起するような工夫も加え、
文学的ではない手法で、原作に向かいました。
作者の徹底した人間描写に感銘した私ですが、自分独自の身体理解を
基礎にした手法によって感情が揺れる人物の内的力を
浮き立たせようとしました。
葛藤という、実人生で常に身にまとい背負っている重力は、
体内に沈殿し静まりかえって息を潜めている。
作品を通して支配する静けさは、人間の生の音響であり、
音楽と言い得るのではないでしょうか。
まるで深海の底から無数の細かい泡のように自らを浮力にして
光の方向に上昇するように。あるいは冬の凍てついた大地から
湧き上がる湯気か遠方の一筋の煙のように。
改作では初演と真逆の終わり方にしました。ムイシュキンと入れ替わり
ナスターシャが、死から蘇るごとく踊り、静かな身体/死体として
たたずみます。ムイシュキンはその静かな身体を弔います。
純粋な生の真偽を問うのではなく、身体そのものがもつ不可避の
聖なるものに、私は近づきたいと考えたのでした。それは信仰よりも
澄んだ空気に内包されているものではないかと考えました。
また新たな日を生きる今日、それは新たなダンスが生まれる日です。                  2016/12/15 勅使川原三郎 
                   [メールマガジンNo.662より]

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