東京芸術劇場での新作「up」の公演は今日が最終日です。
山下洋輔さんは私にとって長年、
40年来のあこがれのピアニストです。
公演に先立って9月に入ってからリハーサルを数回しましたが、
その度毎に最高のライヴセッションをしました。
リハーサルとは言えないハイテンション、一回限りの
最高の瞬間でした。その時に感じた高度な芸術性はとても独創的で
「厳密」と「自由奔放」が同時に起こりつづける
とても豊かな時間でした。この公演前の希有な経験はステージで
より明快に鮮やかに、より自由に煌めきます。これこそ
私いえ私たちKARASのメンバーが求めつづけていた価値です。
私のダンスキャリアはバレエから始まりましたが、
自分独自のダンスの基礎や創作を作ろうとしている時、
70年代後半の山下さんの演奏から重要なことを学びました。
その時に受けた影響は長年私の内側に動きつづけていました。
つまり精神と規律というか面白さを見つける真剣勝負は
どのようにあるのかです。
最終公演を直前にして公演内容にはふれませんが、
私がどれほどこの素敵なピアニスト(いや本当は、現代日本、
同時代に生きている最高の芸術家と言いたいのですが)に
影響を受けたかをご覧になるでしょう。
軽やかな紳士の幾千の指や腕から発生する音楽は、
人をしあわせにすると私は思いました。芸術がなんの為に必要なのか、
という問いは愚かしいでしょうか?人間に芸術は必要なのです。
空気のように、風のように、光のように、影のように、
動物や植物の自然のように、食べ物のように、人間同士のように、
芸術は自然界には属しませんね、
芸術は人間が人間の為につくるものです。
そして自然そのもののように、音には意味はない、
しかし音楽が時としてもつ無意味な美しい力は、
人間に喜びを与えると私は感じるのです。
そこに新たな生きる為の意味が生み出される、保証の無い、
なんて素敵なスリルでしょうか。私は山下さんの奏でる音楽から
しなやかで自由な人間と自然の絡み合う動く姿を見ます。
彼はピアノという楽器が異なる物体に変容するような音を奏でる、
その音楽性に楽器を超えた、音階を超越した
音楽を聴くことができます。いや私と佐東利穂子は毎日ステージ上で
全身を開いて受け取って踊っています。
2人だけではなくサドルという名前の黒馬も
山下さんの演奏に魅せられている仲間です。
2016/10/9 勅使川原三郎
[メールマガジンNo.591より]
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