2016年10月27日

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アップデイトダンスNo.40
「SHE」
 
アパラタスにて、アップデートダンス no. 40「SHE」 は昨日
大きな成果を成し遂げ、計8回の公演を終えました。
佐東利穂子のダンス人生の中でも特別な価値をもつ作品であります。
今後の道を築いたソロダンス作品として長い年月を経ても決して
色あせない美を創造したと言ってよいと思います。私自身、
作品を発想し構成した者として誇りを感じています。末永く
将来にも活き活きと公演されていくだろうという確信ももっています。
なぜなら、佐東利穂子が踊るからです。
彼女は、精神と身体が極度な明解さによって自らを
調和させることができる稀有な人間です。意思の力がダンスする。
技術とは固定した限界によってつくられのではなく、
限界という概念のない変質の多様性によって開発されるのです。
私が最高の芸術パートナーとして彼女を認めるのは、
技術や感覚的に優れているとか身体が美しいという表現価値に
理由の第一番があるのではありません。
自然や動物への尊厳と愛情と共に無限への恐れを大切にしている
からですが、そこに芸術という価値が関わっているわけでは
ありません。しかし、そしてもうひとつ加えるならば、
知性に基づく振る舞いは彼女特有です。日常的に彼女の立ち振る舞いは
際立って美しい。見せるためではない所作にこそ、内側が身体から
透けているような目をみはるものがあります。
ここに挙げたいくつかのことは、みな一体となり、ひとりの人間、
佐東利穂子を作っているのではないかとおもわれるのです。
ダンス作品「SHE」は彼女であります。
しかし名前を持たない「彼女」という「ひとり」、
佐東利穂子から離れた「彼女」によって現れては消えていきます。
人格と呼ばれる以前の不確かな実像を揺れ動かす身体、なんという力、
作品を構成した私は毎回の公演に驚かされました。佐東利穂子は
「彼女」を振りはらいながら激烈に身体を空気に打ちつけ切りつけ、
空気から脱するようだ。その瞬間「彼女」はほとんど真空の
ほとんど現実の詩宇宙で「彼女」自身を失う。
公演直後のトークで佐東利穂子が語った
「彼女は全てを失い自分自身も失った時、それは終わりではなく、
そこから彼女が始まるのだと思います」と。
それは佐東利穂子のことであり、私のことでもあります。 
                  2016/10/27 勅使川原三郎 
                   [メールマガジンNo.612より]

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