今日は、アップデート ダンス no.28「ペレアスとメリザンド」の3日目です。
創作を常により良く更新していく「アップデート ダンス」の名に恥じない
出来栄えだと言ってもよいだろうと私は感じています。
今年春に初演した後、比較的早い時期の再演ですが、佐東利穂子のダンス
と全体構成に磨きがかかりまた一歩成熟した公演になっています。
ドビュッシーの同名のオペラを基にして創作したダンス作品が、
日々熟成していく「姿」が闇から浮かび上がります。佐東利穂子の身体、
それ自体が芸術と化したと作り手の私が発言したとしても決して大げさ
ではないと感じていただけるだろう、と私は思います。
様々な事件があるのは世の常と言うにしても、人心の混乱を意図する
暴力が、世界や国内の各所で起こす限りのない不安感が「境界」を
超えて人々を襲う。芸術が発する力が生きる為の助力になり、
美しいものがその持続に喜びを与えることを実証すること、
それが創作者の仕事です。私は暴力を撲滅しようと言いたいのでは
なく、抵抗としての芸術を毎日作りつづけることこそが、私たちの
仕事なのだと自覚しています。つまり美しいものが持つ力を信じて、
作品を作りつづけることです。
そして、少し違う言い方をするなら、ロマン、ロマンティックと
いうことも、私は近頃よく考えます。人間の心の中にある美しいもの
への愛情、親しみ、親密感、それらを求める愛欲、それらを否定的に
思わぬこと、ロマンティックなことを求める厳しさ、、
甘ったれの馴れ合いではなく、これだけは逃したくないという
胸が熱くなる思い、それを私はロマンティックな気持ちだと思い
ます。厳しさを伴う甘辛のロマン、辛い甘さ、断崖絶壁の高揚感、
急転直下の中の浮遊感、ロマンティックな世界観を作曲家クロード
ドビュッシーは、だれにも成されなかった音楽的方法で出現させ
たのだと私は考えています。佐東利穂子が、その音楽の中に溺れ
るように身を投げ、身を任せる。その時、佐東利穂子のダンスが
芸術になるのだと私は考えます。
2015/11/26 勅使川原三郎
[メールマガジンNo.252より]