「空耳」には直感的な音楽構成と空想的な空間意識とが
照明によって区切られ場所の構成が時間によってあらわされる。
内的な動きと身体の運動性が連動して作る生きるものが現れる。
不確かであるからこそ明解でなければならないダンスが随時出現する。
数多くの楽曲と身体と動きの質感が、
照明によって支配された場所から内面と外界へと広がる。
精神と非精神、空間と非空間が絡み合い、新たなダンスが創出される。
ダンスの出発、残るは本日と明日。
そして見果てぬ時へ向かうのだ。
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