新国立劇場での「オルフェオとエウリディーチェ」は初日の幕を開けた。展開の流れが美しい公演を実現した。
今日は二日目だが、より良い公演になるだろう。
さてアパラタスでは同時に新作「空耳」を準備している。バロックオペラの後にダンスを創作。
こんなふうに舞台活動をつづけてきたが、近頃、思うことがある。もっと自由にダンスを作り、いやダンスにこだわらないダンスを作ることを私は長年実行してきた、
その自覚を新たにしている。
オペラの舞台がもつ特殊性は歌唱にあり、歌手と歌自体が持つの身体性が舞台に特殊な質感を構築すると私は考える。
「空耳」は音楽を多く使用するが、音楽として完結する音ではなく、音としての音楽であり、聴こえる音に感覚の広がりを見出したいのだ。
つまり聴こえても聴こえなくても空気の中には音楽がありつづけていて、空が奏でる音は空が聴いている音楽なのだ。
ダンスが無意味から解放される、身体の動きの制御は無意識が働くダンス的音楽なのだ。
「空耳」には数多くの音が現われ、動きが身体になる、有ることが有ることを遊ぶ。
無いではなく、有るが有るを作るダンスになる。
間違いが間違いとしてあること、修正しない事実が幻想の方向にぶれる。
下の写真は、昨日の「月のような照明と照明のような月」

2025年12月5日の月
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