『プラテーロと私』の初演は2015年ですが、原作について知ったのは、40年以上前のことです。ギタリストの友人から紹介されました。
その時はダンス作品を作ろうとは思っていませんでした。なぜなら、内容がとても無邪気で、あまりに自然でしたから。というのは、若い時はもっと刺激的な内容で音楽もハードな音質のものを作りたかったからです。
しかし作品化する前にも、海外公演のツアーの際には、必ずといってよいほど携帯していて、タフな公演の束の間にパラパラと読むことで気が休まった。そしてある時、そろそろ作品にしようかなと思いついたのです。それはアパラタスで公演をするようになったのが理由だと思います。小さな舞台でこそ生きる作品があるものだと思えたのです。
そして数々の創作を経た後に、ロバに語りかける内容をよく聞いて(読んで)いると、私が以前とは異なったことを感じるようになっているのに気づいたのです。──人間のことが細かく描かれている。特に弱い人々が生きている姿を描いているが、無垢なロバに語りかける筆者の「私」が、見ている目の前の生きるものを、主体的に、そのあるがままを記録したように描いた。簡素なデッサンのように。
読み手に伝わるのはなんだろうと思った。筆者の手つきそのままの静かな語り口、それをプラテーロが聞いている、つまり読者である我々も聞き見ている。読者である我々はプラテーロのように無邪気にならざるを得ない。
最近、特に近頃の私は、このバカなほどの無邪気に、難しさと尊さを感じます。ヒメネスがこの本を書き出版したのは、1914〜17年の頃で、第一次世界大戦とほぼ重なる時期であり、その後の世界恐慌からスペイン内戦〜第二次世界大戦と戦争の途切れることがない時代でした。現在のように世界中が奇妙な圧力によってコントロールされている時代は、私に1900年代初頭と2000年台初頭が重なるように思われる。別種の兵器(戦略)による世界規模の大戦が既に勃発しているようでなりません。
勅使川原三郎
*写真はアップデイトダンスNo.26「プラテーロと私3」より
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