「if」創作メモ

No.93_If_-02
 
「もしも」  
誰でもそんなふうに思うことがあるはず 若い頃に限らず
私はほとんど毎日「もしも」とともに生きていた 
いや「もしも」生きていたらと思いながら 
現実と空想の違いの定かでは無い「時」を「身体」を「思い」を生きていて
現実だけの中ではどう生きればよいのかわからなかった
十代の頃の私は すこし悲しい 愁いの坂道をゆるやかに下るか静かに上る 
薄い気持ちに揺れていた 激しい気持ちに揺さぶられる一時期があっても
輪郭のはっきりしない自分と不可解な現実の混ざり合わない違和感に息を潜めていた
その息を潜めているように歌っているブレッドの数曲 自分の気持ちと身体に重なった
馴染みのない名前の少女のこと
好きな子の日記を拾って知ったこと
絵や言葉に描けないこと 
二箇所に同時居れること
地球が止まりそうになり 星が次々と消えていく時
もしそうなったら ぼくたちは空に飛び去って消えていくこと
そんな弱々しい歌が歌われた時代には 息をつく詩があった
歌 詩を持つ 非現実の中に微かにでも響く歌 微かな震えのような
許し許される あいだがら 
人々は説明に疲れている 疑いに疲れている
「もしも」の中で遊ぶといい 
時々 いや 私は毎日
許し許される 
                             勅使川原三郎

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