
初演:2009年3月21日 Bunkamura シアターコクーン
主催:Bunkamura
上演時間:70分
振付/美術/照明/衣装/選曲:勅使川原三郎
出演:勅使川原三郎、佐東利穂子、鰐川枝里、加見理一、高木花文、ジイフ、塩谷南、杉下せり、田切眞純美、山本奈々、林誠太郎
心臓の鼓動はリズムを打ち鳴らし
血管に流れる旋律は頭骨をめぐり
呼吸は様々な強度の風を吹かせる
無音は体内の絶対ノイズにかき消される
乱れた音響身体が作ろうとする沈黙の中
多重に揺れる体内の分身は内側にうごめき
私と分身は私を生きる
人間が生まれ、言葉や音を作り
聴こえなくなったものがあるだろう!
見えなくなったものがあるだろう!
沈黙が身体内に湧き立つ!
在らぬ事を自分のものにするのだ!
沈黙の叫び!沈黙して殴り倒せ!
宇宙なんか、叩き潰せ!
なんてこうるさい古びた宇宙!
- 勅使川原三郎
急がず、焦らず、一日一日を大切にこつこつと仕事をする。
やらなければならない作業はたくさんあるが、学ぶ事は尽きない。
身体が学ぶこと、身体が伝えられること。
自然のように働き合えば難しいこともできるだろう。
形にならないものは、それでも見えるようになる。
日々思う、そして日々そのものの形。空気中に在るはずだ。
内面で働く感受性には、物質的境界線はない。
身体もその内面と均質になることができるはずだ。
そのひとの感覚そのものが人間の本質を表わすのだ。
身体的な沈黙、身体的な音楽、身体的ノイズ、沈黙の身体。
身体がもつ静寂と沈黙は別だ。ぼくは沈黙を作りたいのだ。
沈黙を求めて身体を使うなどということは、目的へ向かって正反対に走り出すようなことかもしれない。
しかし全速で走り出したのを止めることはできない。
小さな可能性と大きな可能性とがつくる不協和によって目標に接近する。
それによって全体への客観性が得られるからだ。
非日常であり、彼岸に限りなく接近した此岸から飛び出し、こぼれ落ちた身体はすでに日常の身体ではない。
予兆する、いや聴こえる。微かに聴こえる。
沈黙がすこしずつ大きくなっていると感じるのはぼくらの身体なのか。
動きは約束されていないから、動きを新たに生み、そこに時間が現れる。
沈黙への働きかけには、このこうるさい世界から出発するしかないのだ。
世界が光と闇という単純な分け方で成り立っていないように、音と沈黙の分けもないほど自由に沈黙が溢れかえり、そして音が音楽が身体化して空気に溶けている。
沈黙は、物がこすれる摩擦によってかき消される。
そこは世の中であるが、「あいだ(間)」の領域では摩擦がますます消滅していくので、沈黙と音との差もなくなっていくのだ。
そこでは身体はより自在に、いやそれを超えて、あるままに、ただあるままにありつづける。