FRAGMENTS 勅使川原三郎ブログ

RSS

今、ぼくはニューヨークからバルセロナに移動しようとしています。リンカーンセンターフェスティバルでの「ミロク」三日間の公演を終えたところです。三日ともソールドアウトの盛況で、公演もとても良い出来でした。この「ミロク」という作品はまだまだ成長していきそうです。以前とは違う感覚をこの作品から生み出していると言えるでしょう。舞台では身体感覚のぎりぎり限界で踊っています。それが以前より出来るようになっているのです。自分を精一杯客観的に見るとして身体の自己制御という問題をすこしずつ進めているということなのかもしれません。ダンスが作品を作ったら終わりではなくて、全てはそこから始まり、その先がどこに向かうのかを知っている者はいないのです。どんなに知ったかぶりをしても駄目です。逆だからこそダンスは面白いのです。厳しいのです。感覚が技術を伴って初めて表現になるのですから、他人の目より厳しい自分への客観的視点が高度に観察力を持たなければ到底持続的な表現活動は可能ではありません。この春の北米とヨーロッパツアーは、「ミロク」、「オブセッション」そして「鏡と音楽」の三作品で成立しています。ソロ、デュエット、グループの三種類の出演者構成ですし、舞台構造、装置や音楽も異なるわけですが、出演者の舞台経験の違いも面白いのです。ダンスは常に次のまだ来ていない、来るべき瞬間へ向かう身体と精神の姿勢を問われるとも言えるわけですが、出演者の各個人が厳しく自己を客観視できなければ集団としての作品は構成されません。まだ十代のメンバーもいるKARASの稽古は常にそういう基本の個人の責任を問いかけます。それは指導する為ではなく、各自の自覚的発想、つまり想像力から生まれる客観性こそ大事なのだと問いとも言える課題を常々共有しています。難しく聴こえるかもしれませんが、十代の彼らでも研鑽を積めば理解出ることなのです。なぜなら全ては身体とともにある課題だからです。ダンスはそういう面白くも難しい問いを常に解いていくことなのです。
 
 灼熱の太陽の下、ニューヨークはすこし陽が影ると一挙に涼しく感じるのは東京のような湿気がないせいでしょう。「ミロク」の最終公演を終えると早速劇場の楽屋で、ワールドカップの決勝戦スペイン対オランダの途中経過をチェック。最近はWiFiが様々な所で使える。経過は後半で0-0。夕方の爽やかな空気を縫うように急いでホテルに戻りテレビをつける。その次の瞬間、スペインのイニエスタがゴール!やった?!!!イニエスタは大好きなプレイヤー。最高の技術と判断力、柔軟性と気転が利く、フェアプレーだし、全てが最高なのだ。いわゆる、幼児のような顔でオヤジのようでもある「赤ジさん」なところもとてもいい。そんなイニエスタがゴールを決めた後、ユニフォームを脱いで観客に向かって走った。下に着ていたシャツには去年試合中に死んでしまった友人へ向けて、君はいつもぼくたちと一緒だと書いてあったという。試合中にユニフォームを脱ぐとイエローカードだが、イニエスタは正しい行動をとったことになる。スペインが勝ったのでうれしいのとお腹が空いたので食事に出ると、劇場のすぐ近くのコロンバスサークルの噴水の広場ではすでにスペイン系の大勢の人々が勝利の雄叫あげて盛り上がっている。いろんな方向から増々人数が増えていくようだ。みんな赤いスペインのユニフォームを着て歌を歌い踊っている。いいなあ、さぞやうれしいんだろうな。ワールドカップ優勝なんてたまんないだろう!とぼくもなんとなく興奮して、本田や遠藤のゴールに飛び跳ねていたのを思い出す。ついさっきまで、近くの劇場で「ミロク」を踊っていたのが不思議に感じる。しかし空は再び爽やかに晴れ渡って夕方の空気が気持ちがいいし、最高の決勝戦いや楽日になったのだった。しばらく歩きたい気分になった。

 明日はまさに優勝したスペインへ向かう、それもバルセロナだ。さぞや盛り上がってるだろうと期待。公演するのは「鏡と音楽」で、去年の秋の初演以来で今回がヨーロッパ初演になる。ぼくがニューヨークに来ている間、東京では他のメンバーは暑い稽古場で大量の汗をかいていたことだろう。彼らに会うのも楽しみ、彼らのダンスを見るのも楽しみ、ぼくは佐東利穂子をはじめ彼らにはある意味で厳しいけど、ぼくはみんなのダンスが大好きなのだ。彼らが踊るのを見るのはとても楽しい。常にではないが、彼らの持っている才能を大いに買っている。初めに書いたように各自の自覚に全てはかかっている。FCバルセロナのカンテラという教育機関は十代前半から一貫した練習理念、技術や戦術の教育を行なっている。ワールドカップ優勝の主要メンバーのバルセロナの選手たちは皆このカンテラ出身である。面白い事にその機関の基本理念は、決勝で負けたオランダの元代表選手クライフがつくったと言われている。クライフはオランダからバルセロナに選手として移籍し、その後監督になった。バルセロナでは最高の尊敬とともに信頼されている。彼の知性と精神が世界のサッカーの手本になっているといって過言ではないだろう。
(元々ぼくはサッカーが大好きで、サッカーの事になると話すのも書くのも考えるのも止まらなくなってしまうのでこの辺で終わります。いつか、サッカーの事だけを書いてみたいと思います。今のぼくの考えや発想、そして表現に大きな影響を与えたサッカーはいつまでも魅力的です。ちなみにサッカーに限らずスポーツ全般が好きなのです。限界の厳しいところでぎりぎりに生きる人間が美しいからです。)

2010年7月15日 21:20

このページの先頭へ
前回書きましたがぼくは現在モントリオールにいます。この街を訪れるのは11年ぶりです。80年代末から90年代末まで大いに盛り上がった「ヌーベルダンス・フェスティバル」に毎回のように参加しました。そのフェスティバルは2年毎に開かれていて、面白い事に観客の投票があり、その年の1位のグループは無条件で再度フェスティバルに招待されるというシステムがありました。ぼくたちKARASは、1989年「石の花」で初登場し、なんとその最高得票を得て「プリ ド パブリック」という賞をいただき2年後にまた参加しました。その時は「DAH-DAH-SKO-DAH-DAH」を上演しましたが、再び同じ賞をもらい、再度招待されることになりました。95年には「NOIJECT」で参加し、なんと3度目の受賞をしました。そして99年には「I was Real-Documents」で参加しました。この作品も大いに受け入れられ評価も高かったのですが、その後はフェスティバル自体が終わりを告げました。
初めて参加した年には、観客賞なるものがあるのも知らず、ただ自分たちのダンスを精一杯やることしか頭にありませんでした。その年のフェスティバルはフランス特集で、読者のみなさんがよく知っているグループや振付家が参加していましたが、ほとんど無名の若いグループが受賞したのが大きな驚きだったようです。自分たちの為に開いたフェスティバルのはずが無名の奴らが来て、軽くさらっと賞を持って行ってしまったわけです。青色に塗った大小100個の石の間をガクガクバタバタと何百回もぶっ倒れつづけ、ステージで自転車を乗り回してはまたそのまま倒れ、ガラスを蹴散らし、揚げ句の果てには大きな石を床に叩き付けるダンサーたちの強烈な動きに度肝をぬかれたようでした。あれがダンスなのかと驚かれたわけです。
95年はベルギー特集で、プログラムにはみなさんご存知の名前がずらっと並んでいました。99年はフランクフルトバレエが参加していました。そのような国家や州などから巨額の援助を得ているヨーロッパの参加者に引けを取らずKARASは堂々と成果を積み上げてきました。
所謂コンテンポラリーダンスの元にはこの「ヌーベルダンス・フェスティバル」の影響があるのかもしれません。ぼくはその当時、欧米で多くのダンス、ダンススタイルを見ました。ですから、ぼくは「自分たちが到底彼らと同じではないし、そういうものたちと同一視してほしくない、されたくない」という強い気持ちがありました。そして常に自覚していた事は、ぼくたちしか出来ない事を実現しようという心意気です。自分たちの存在価値を自ら作り発見するのだという精神です。それは簡単な事ではありません。
当時ぼくたちは、すでにヨーロッパでも高く評価されていましたが、反対に反発のような評価や嫌味の言葉を直接言われた事もありました。初めて参加した時のフランスのある新聞は、「どうせトウキョウのへんな奴ら」と書き、「あんなのはダンスじゃない、君達は踊る必要なんかない」というダンサーもいました。ある時は嫉妬としか思われない言動もありました。ぼくは当時なんて彼らは古臭く保守的なんだと思っていました。しかしそれは初めの頃に限られます。KARASは年を重ねるごとにより深く広く受け入れられるようになりました。そして観客が常にぼくたちについていてくれました。ありがたいことです。歴史がないぼくたちのダンス表現が確実に認知されていくのを実感しました。そしてこの作業はつづけなければいけないと肝に銘じ、常に仲間に話しかけました。「これからだ。これからがぼくらの時代だ」と。モントリオールで勇気を得て、再びヨーロッパへ渡り、思い切り作品を作りつづけました。(もちろん東京でもコンスタントに公演をすることができましたが。)
すこし長くなりましたが、モントリオールがどういうところで、ぼくたちにどんな意味があるのかを書きました。
さて昨夜はこの街での「ミロク」初演でした。終演後は、スタンディングにわれるような拍手、大勢の男たちの大きなかけ声がつづき、盛大なカーテンコールによって初日を終えました。「ミロク」は2006年末に東京で初演し、その後数多くの海外ツアーに出ている作品ですが、昨夜また新たな「ミロク」が生まれたように思います。いつか東京で再演したい気持ちでいっぱいです。

2010年6月17日 15:30

このページの先頭へ
二ヶ月以上離れていたこのブログに帰ってきました。長い間のご無沙汰でした。
書けなかった理由は多忙を極めていたからです。
今日は久しぶりのご挨拶ということにします。
今ぼくはカナダのモントリオールにいます。「ミロク」の公演の為です。
空は青く広がっています。時間が多少ゆっくり動いているようです。

三月イタリア,ヴェニスのフェニーチェ劇場でのオペラ「ダイドとエネアス」と新作ダンスの初演を大きな成果(後日詳しく書きたいと思います)とともに終えた後、スウェーデンでは極北のキルナという街から更に北上したところにある「アイスホテル」で「アイスシアター」つまり「氷の劇場」を二年後に作る際に公演をしようという計画があり、そのうち合わせに行きました。
その後、ドイツでは今後の公演の技術打ち合わせを行い、再びイタリアに戻り、今年の夏に撮影する短編映画のロケハンに行きました。この短編映画は現在準備が進行中で、これについても今後おいおい書きたいと思います。
四月中旬から五月初旬までは、「ミロク」の北米ツアーがありました。とても有意義な公演でした。「ミロク」は作品としてますます成長しています。
帰国してすぐに、去年フランスで初演した「オブセッション」の渋谷シアターコクーンでの日本初演の準備に入りました。ライヴで演奏するバイオリニストのファニークラマジランさんが来日し集中した良い稽古がつづきました。
「オブセッション」は新たな方向性を提示したという評価なども頂きとても充実した良い公演ができました。そして六月になり兵庫県立芸術文化センターで「オブセッション」を再演しました。
その三日後の昨日モントリオールに着き、今こうして書いているところです。

 本当に大雑把にざっと書きましたが、三月から現在の六月に至るまで様々な事が起こり、新たな素晴らしい出会いが数多くありました。
今後のプロジェクトが楽しみでしかたありません。
その事について是非これから落ち着いて書き記したいと思います。
あまりに多くの事が進行していて、怒濤のような日々ですが、なによりきちんとした目的があるプロジェクトの実行は楽しいものです。そしてまたまだ立ち上げまでいくつかの段階を準備しなければならない計画もとても楽しみです。
今、まず久しぶりのご挨拶という気持ちを表したいと思いました。
今後もどうぞよろしくおつき合いください。
                                 
                               勅使川原三郎
                         2010年6月9日

大きな空、雲が広がり同じだけ青空も大きくなっているような、
ホテルの真下の広場ではロックコンサートの準備が進んでいる、
三カ所もステージが組まれ巨大なスピーカーが置かれている。
さぞや大音量になることだろう。

2010年6月14日 16:30

このページの先頭へ
朝から[Dido]の照明直し。セットを変えてようやく [Le Rire] の照明つくりの時間だと思ったが、なかなかセットが変らず時間だけが過ぎていく。みんな困っていらいら、私はこういう時は冷静に仕切らなければならない。午後3時のゲネプロが迫ってくる。冷静に冷静にと言い聞かせる。
ようやくセットが変わりダンス作品に移れる。しかし全く初めてのシューティングだ。取りあえず昨日考えた照明プランを伝えてセルジオがオペレーターと打ち込みをし、舞台で待っているKARASのダンサーたち、サトー、エリ、リイチ、ナナ、ナイル(そして今はここにいる私)が即興的に動く。
彼らはいつも厳しく鍛えられているからできるようなものの、普通は到底不可能な技だろう。わずかな時間しか与えられていないステージでの新作の準備。こんなの決して在り得ない。しかしこれがその時我々に与えられた現実。
初めの照明変化の順番が良くないことを察知した私は、即座に間髪入れずに変更する。まわりのスタッフは目が点で限界を超えた不安顔。でも長年私と仕事をしているセルジオは全く冷静に変更を加える。これが仕事というものだ。頼んでもう一度だけ照明確認の15分をもらい目で確認して「よし!これでいっちょ立ってやるぜ!」と気合いを入れる私。というかそれ以外にやりようがない。が!それが仕事というもんだ!まわりの顔を見ながら、私は全く不安ではなかった。これが私のやり方だし、これで生きてきたんだから。なんていうこたあねえってんだ!
ダンス作品から始めるゲネプロには観客が満員だ。本番通りの公演前の段取りを組んで緊張が高まる。仲間たちもこの時とばかりいい感じに静けさをもって臨んでいる。よし、これでできる、と常に冷静な私。ダンス作品の衣装を着てみんな舞台に集まっている。 
その時、突然舞台監督が始めるぞと言いに来た。冷静に「あと2分後だ」と伝える。彼らも準備よし、気合いが入っているぞと安心する私は、ま、なんとかなるだろうと気楽に身体をほぐす。2分も経ってないのに、では始めましょう的に来たから、いいよ、行くぜ!とOKを出すと暗転。ファイアーカーテン舞台前にある鉄製の安全壁が上がる・・・。
ピカピカと危険防止のランプが点滅しながらゆっくり鉄のカーテンが上がっていくのを後ろ向きに板付いている(暗い舞台上にすでにポジション取りをしている状態)私は、初めの照明と音を待つ。バスッ!パッ!と音と明りが点いた、さあ始まった。我々は激しく身体全身を振るわせ折り曲げ弛め走り歩き倒れ飛び硬直し溶け光の中に終わりのない動きをつづけ、ラストのライトから暗転。
激しい拍手。堂々たるダンス。堂々たるカーテ ンコール。つづくオペラはそれにも増して素晴らしいゲネプロになった。初日を終えたわけではないが、間違いなく二つのとても良い作品を作り公演することができると確信した。明日は気を引き締めて最善を尽くし最高の舞台を実現するのだ。

2010年3月31日 15:39

このページの先頭へ
今日はイタリア全土のストライキで劇場にはテクニシャンは来ず、予定されていたゲネプロの一つ前の総合リハーサルが中止になって、その代わり私たちは稽古場で、照明テクニシャンのセルジオ(常に行動を共にしているブラジル人)と修正点を綿密に打ち合わせすることができた。そして熱心なソリストの歌手、クリスチャンが休みなったはずだが、稽古場に来て舞台上の動きなどを共通理解することができて良かった。その後は久しぶりの晴れの日なのに一歩も外に出ず、夜10時まで稽古した。ダンス作品の準備だ。
明日は早朝から、今日明確になった点を正してゲネプロに備える。多くの客が観に来るようだ。着々と準備する事がなにより必要なのだ。まだまだ本番までは一日ある。慌てることはない。じっくりとした目で見れば、修正点が見えてくる。きちんとした落ち着いた目が新たな何かを見いだすのだ。
私はこういう緊張感が張りつめた時が最も好きな時間といえるかもしれない。一番追い込まれる時、自分が最も欲しているものが見えてくる。それが判断になり言葉になり、当然行動になる。事実が積み上げられる瞬間だ。
いままで見たことがない何かを目にし、聴くもの見るもの、そして空間を振るわす振動を全身で感じる時が来る。どんなに微細であっても感じたものは澄んだ剥き身の身体に引きつけられる。私は初めてのなにかを感じたい。予兆がありそうでいて、私の気持ちはそれを拒否する。

2010年3月31日 15:36

このページの先頭へ
長い長いリハーサルの日だった。[Dido]を午前と午後リハをして、夜はダンス作品[LeRire]の照明作りとリハ。なんて長い一日。そうです、これが私の仕事です。[Dido]の後いろんなひとが、とても良かった、おめでとう、ありがとう、誇りに思うなどいろいろ話しかけてくる。
劇場では公演準備や出演者の問題など様々な問題が起こり解決に苦心する事が多く、ある者は始終文句を言っているが、別に誰が悪いわけでもないのだ。これが我々の仕事なのだ。
私は特定のだれかを悪者にするのが嫌だ。私たちは現実が目の前にあるのだから、ここで最善を尽くし問題を覆す術を新たに持つべきだと考える。良い事をする為に様々な人間が集まっているのだから、難しい問題を解決可能な事として冷静に見て判断しなければいけない。とにかく進まなければならないのだ。現実的には、 より良くなっている過程を確かに歩んでいるのを確認することだ。
明日も午前からロッジョーネ(稽古場の名前)で稽古だ。必ず全ての舞台技術の進行を決めてすっきりとゲネ(本番と全く同じ状態の公開稽古)に向かう。ダンス作品も鋭く感受性を揺さぶる面白い作品になりそうだ。

2010年3月31日 15:34

このページの先頭へ
オペラのリハーサルは順調に進んでいます。初日前の一週間、この時期からの舞台稽古は公演に参加する誰もが特別なエネルギーを発揮しなければなりません。 たった今、創作の現場で浮かんだ気持ちを大急ぎで書きます。
物を作る事、創作する時、常にひとは孤独だとだれかが語ったそんな言葉を聞いた事がありますが、私にとってそれはなんの意味もありません。ダンスの場合、そこにかかわる全員がより良いものを発見して舞台上で表現にまで高めることができる質を常に求めていなければ、作業が成立しないからです。それは、孤独とはかけ離れた作業なのです。
私は舞台上に私的な夢など持ち込まないし、冷静に事実を積み上げる仕事しかしないのです。夢はその時に綿密に積み上げられた作業によって舞台上で表わされるべきものです。現場にはなんの力みも見栄も入り込む余地はなく、自分にとっての、などという中途半端な遠回しの迷いさえあってはなりません。明確な意志と強い問いかけの精神と決断力がなければ何も実現しません。見えなかった形を、視覚だけでなくあらゆる感覚を動員して、ある形に変える事が表現というものです。
見えないものを見えるようにするという単なる置き換えのような事を言っているのではありません。
見えないものはあるべきですし、その見えない世界こそが見えてくる現実を支えているとも考えるのです。
具体的に何がそこで起こっていて、何が起こりうるのか、そこはどんな場所で、どういう空間が事実として息づいているのかを見極めることが重要です。
 「事実」、忍耐といってよい現実、虚無とは違った次元の事実がどんなに力をこめても進まないように見える時、私はそれを全身で受け止め、相撲力士のがっぷり四つに組むという五分と五分という状態に押しつつも引かず引きつけながら強引に押しつづける。
耐えるとはそういう事かもしれないのですが、突破したいという欲望だけでは創作の現実は何も動きません。だから夢など見る暇がないほど気を張りつづけているともいえます。しかしその張りつめ方が、体力より精神の働き掛けともいえる充実感が、全身に満たされるのです。  

2010年3月31日 15:30

このページの先頭へ
今日はヴェニスに来て初めての休日、といっても朝から衣装の打ち合わせがあったのでそうともいえませんが。久しぶりに晴れわたった青空の下から流れて来る空気をかき分けるように、すこし急ぎ足で、いくつ渡ったかわからないほどの数の小さな橋を越えて、ようやく衣装のアトリエに辿り着きました。大きな鏡がいくつもあるアトリエの入り口には色彩豊かな仮面や装飾が溢れています。すこし前にあった有名な仮面カーニバルの衣装を作り、貸し出しもしていたそうです。私はヨーロッパの様々なオペラ劇場で衣装を作る機会がありましたが、このアトリエはいわゆる舞台衣装というより、きちっとしたテイラードの洋服やファッションの世界に近い服作りの質と高度な技術をもっているようです。このアトリエでは映画の「エリザベス」や「パイレーツ オブ カリビアン」の衣装も作られたそうです。
私が描いたデザイン画を既に受け取っているスタッフたちとともに布、生地の材質や色の選び、それらが誰の為かを細かく決めました。目が回りそうな打ち合わせは楽しく、全体のバランスもうまくいくことを確信しました。私はこのように技術をもった職人たちが黙々と作業をつづけている仕事場が大好きです。彼らは静けさの中に尊敬と的確さという正しい寸法の部屋を作っているようです。その鍛えられた技術者と交わす別れ際の挨拶のなんと清々しいことか。外に出て、爽やかな風が運ぶ冬の海の匂いを呼吸すると、今日はやはり休日なのかもしれないと思ったのです。

2010年3月31日 15:17

このページの先頭へ

今、私はイタリア、ヴェニスのフェニーチェ劇場で新たなオペラ演出とダンスの新作の創作を始めました。「ダイド アンド エネアス」という17世紀に英国のヘンリー・パーセルが作曲したとても美しい音楽です。この新たな作業もいつもと同じように演出、装置デザイン、衣装デザイン、照明デザインを私が担当します。
つまり音楽以外のすべてを行なう総合演出といっていいでしょう。とても複雑で多岐に渡る構成要素をまとめあげるやり甲斐のある仕事です。
出演の主要の歌手たちと顔合わせをして早速ワークショップして本格的なリハーサルに備えました。
リハーサルの様子等を今後随時お伝えしようと思っています。

ここヴェニスはご存知のように無数の小さな島が狭い運河に架かるこれもいくつあるのか大小の太鼓橋のような橋によってつながれた街です。その中心は自動車はどこに行くにも迷路のような小道を歩き橋を渡ります。遠くに行く場合の交通手段はバスのように使われているボートがあります。面白いのは劇場内に装置や機材を運ぶのもボートですから、いわゆる搬入口は劇場の裏側にある運河の船着き場なわけです。搬入口から見ると、すこし間違えたら水に落っこちてしまいそうで、劇場はまさに水面に浮いているようです。
ヴェニスに到着した日の夜はちょうど最も高い満潮で、空港からタクシーと呼ばれるボートで中心街に入ったのですが、通常はくぐれる小橋は水位が上がっている為に通れず、いつもより目的のホテルへは離れた船着き場で降りて歩かなければなりませんでした。それからが大変で街中が浸水している!のです。くるぶし辺まで水かさが増していて、ビニール袋を靴の上からはいて急ごしらえの長靴にしてえっちらおっちら、なんとかかんとか辿り着いた時には靴の中にチュバチュバ言っている飲み過ぎたアヒルがいるようでした。そして明日の夜もまた同じような満潮になると既に警報が出ています。
そういえばその夜、チュバチュバと鳴る足音の上方夜空高く満潮に着き注意の警報のサイレンが甲高く響き渡り不穏な雰囲気に覆われていたのが、なんともわくわくするような興奮を覚えたのが面白かった。不安顔の地元のオヤジがどっちに行けば橋があるのかと突然出会い頭に尋ねてきた時、その焦った表情にまるでビットリオデシーカの映画の一場面のような「リアリズム」がありました。

2010年3月31日 15:13

このページの先頭へ
今日から私のブログ「サブロフラグメンツ」をスタートします。昨年秋からすでに会員向けの「メールマガジン」を始めていましたが、今後は「サブロフラグメンツ」もよろしくお願いします。随時私の「断片」や「破片」を送りたいと思います。さてどういうものになりますか、これも表現の小さな一つとして力まず気楽に臨みたいと思います。
新年は昨年暮れからつづくチラシの製作で明けました。5月にシアターコクーンで公演する私と佐東利穂子のディエット作品「オブセッション」のチラシです。昨年暮れに写真撮影があったのですが、その時のことを報告しましょう。
撮影当日は、自分のカメラを持参してスタジオに向かいました。着いた時は既にスタッフの方々は、私が何を要求するか知らないはずなのに準備してくださっています。私がまた急になにを言い出すかわからないという読みが敏感に働いているぞと私の方も察知します。リラックスしているが微細な緊張感の線が張り巡らされている現場が私は大好きです。KARASのスタッフは、私が要求したように電球を何十個も配線し始めています。空中に吊って垂らした電球と床に設置した電球は、私と佐東利穂子が衣装に着替えて撮影場所に入った時には準備されていました。その後、舞台用照明が何台か足され、私の求めたデータを記録し撮影準備がすべて整いました。規模は小さくとも、公演時の仕込みと同様に私の考えにスタッフのみなさんは即座に答えてくれます。照明の明るさに対する私の細かい要求の変化に間髪入れずに対応してくれるので、今日の撮影は上手くいくぞと予感します。先ず佐東利穂子を対象にして私は持参のカメラで撮影します。最終的には私自身も写っていなければならないのですが、私は完全にカメラマンとなってシャッターを押します。そういう時は、よくある事なのですが、自分のやっている行為にとことん没入します。そうしないと最終的に自分がなにを求めているのか、なにを見つけようとしているのかが、明確にならないからです。私は自分が写真のフレーム内に入るであろう位置を想像しつつ、シャッターを押しつづけました。どんな写真をどういう意図で、どのように撮影するかを明確にします。それをデザイナーの方に見てもらって提案を伝えます。デジカメだから、それができるのです。そして、なぜそうしたかという理由があります。デザイナーの方にシャッターを押してもらう為です。彼は私の意図を充分理解してくれました。次にデザイナーの方が私の位置に立ち、顔の向きなどを私が指示する通りに向いてもらいました。それを私が撮影し、彼に見てもらいます。彼は構図を理解します。次に私が佐東利穂子と一緒に被写体になりデザイナーの方にシャッターを押してもらいます。本番撮影です。本番撮影は意外に短時間ですみました。出来上がった写真の数々は素晴らしく、そこから一枚を選ぶのが大変でした。私はこのような作業が好きです。付き合ってくださるスタッフの方々は大変でしょうが、明確な目標やイメージをもって、未だ見ぬ「傑作」の為に、最善を尽くすというやり方はどんなに規模が大きかろうと反対に小さかろうとやる事は同じです。そして作業はそこで終わりではなく、そこから新たな作業が始まるのです。私の手を離れて、チラシのデザインを仕上げてくださるのです。そして今日チラシが仕上がりました。写真撮影は大成功でしたし、とても良いチラシができました。普段このような現場の事は書いたことはないのですが、これも表現活動の一部と思い紹介しました。スタッフの方々に感謝でいっぱいです。


Obsession75.jpg

2010年1月21日 20:01

このページの先頭へ